広島カップ

原爆の子の広島カップのレビュー・感想・評価

原爆の子(1952年製作の映画)
4.0
娘がまだ小学生だった頃、家族で広島に旅行に行き宮島の弥山に登りました。
よく晴れた夏の日、汗だくになって登った弥山の頂上から海の向こうの広島市内の方向を向き、夏の雲が広がる空を見渡しました。
本作には広島の空のショットが多くあります。1945年8月6日午前8時15分、その時の空の様子も映ります。

その日弥山から眺めた夏の晴れ渡った広島市内の上空。
「あの辺りで昔原子爆弾が破裂したんだよ」広島上空約600m、そう娘に話しおそらくその辺りであろう所を指差した私。
果たして娘の胸の中にその時の空の様子は今も記憶として刻まれているでしょうか。もしそうであればワザワザ広島まで行った甲斐があります。

本作もその空のショットを記憶するだけでも充分に価値があります。
苦しいけれど前を向いて生きなければ、悔しいけれど子供達の為に前に進まなければと思う被爆し後遺症に悩む広島の人達。
また広島の空の下で彼らはこうも思います。ピカは確かに酷いけれど、元々は戦争そのものがあってはならない事なのだと。

広島県出身の新藤兼人監督は原爆投下のその時は宝塚海軍航空隊にいてその事を知った。監督の姉は看護師をしておりその時は尾道にいたために無事で、その後広島で看護活動をしていた。監督本人も被爆後の広島に実際に足を踏み入れている。
新藤らが設立した近代映画協会の第一回自主製作映画である本作に出演した乙羽信子は、当時は「百万弗のえくぼ」というキャッチフレーズを冠せられた大映の人気女優だったが、社の反対を押し切って本作に出演しこれを機に大映を辞めている。
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