カラン

原爆の子のカランのレビュー・感想・評価

原爆の子(1952年製作の映画)
5.0



ヒロシマ②


1912年生まれの新藤兼人監督は100才まで生きたが、オリヴェイラのように、もう数年ご存命だったら、フィルマークスのレビュー欄を先生は目にして・・・、南無阿弥陀仏。

映画を観てたら頭の中で自然と『ヒロシマモナムール』と『かくも長き不在』が絡まってきた。マルグリット・デュラスがこの映画の中に読み取り、呼応したであろう何かを感じましたね。まあ、上の2つはデュラス本人が監督ではないですがね。

この作品は広島生まれの新藤兼人が鳥取出身の乙羽信子とともに1952年に撮った。協力は「廣島市」とクレジットされており、当時の貴重な映像が見れる。アラン・レネとデュラスによる『ヒロシマモナムール』では平和記念資料館に、抜け落ちた髪の塊や溶ろけた鉄の塊やらの資料がすでに陳列されているのが映っているが、この映画では本館はまだ工事中である。土方のような鑿(のみ)を握って、コンクリートだか石だかを削っているのは、それまでそんな経験はないだろう、小汚いおばちゃんたちである。平和記念資料館って、サバイバーにトンカンさせて作ったのだろうか?驚愕である。

管弦楽の劇伴も非常に優秀。原爆とか日本人とかいうことを抜きにしても、もちろんそんなことは不可能なのだが、優れた映画だと思う。ぜひ鑑賞されると良いかと。鑑賞後の感覚としてはムルナウの『サンライズ』に近いかもしれません。理由は不明ですし、誤解を招く言い方かもしれませんが、こうした古い映画には人を奥深いところで幸せな気持ちにする何かがあるのかもしれません。これは原爆の話なんですけどね。

傑作の誉高い『裸の島』(1960)や、『賛歌』(1972)、『濹東綺譚』(1992)、『生きたい』(1999)くらいしかまだ観たことなかった。もっと観てみようと思う。


以下、内容についてのメモ。











☆新藤先生、ヒロシマで乙羽さんを思いっきり揺さぶる・・・アリダ・ヴァリ(『不在』)は体幹が強いので揺さぶられません。乙羽さんは気丈なので顔に出しません。でも、橋の上では・・・


オープニングクレジットの間に映るのは、砕けた石、焼けた石。人気のない光景が終わると、ロングショットで屋上から校庭を捉える。子供たちが並んで、体操している。涼しげな白いシャツを着た教師役の乙羽信子が吹くピッ、ピッ、ピッーという笛に合わせて、子供の身体が規則的に動いている。最後の笛の音がなり、乙羽が「整列、休め」と声をかけると、小さな足が左斜め前に出される。この全体主義的な身体の統制という、いかにもイデオロギーの生産工場としての学校の風景は、原爆投下の前なのか?と錯覚させられる。何しろ、私たちの考えでは、広島の真ん中に一万度の太陽が出現して《全て》燃やし、続いて、黒い死の雨が降り注いだ街なのだ、広島に体操する子供が存在するはずがない。レネもデュラスも、私たちも、そう思っている。ああ、子供たちが「さよなら」と一斉に散っていく。長期休み前の全体集会での体操であったようだ。ここは「ヒロシマ」ではない。

職員室に戻ると他の教師がキャンプに誘ってくる。乙羽はあの時以来、数年ぶりに広島に帰省するから、と断る。船に乗って瀬戸内海を渡っていると、船頭が下卑た調子で、広島に戻るという乙羽に「母ちゃんのおっぱいを飲ませてもらいな」とちゃかしてくる。

とうとう広島に帰ってきた。人々は生きている。人が行き交い、並走しながらカメラは自転車の運動を捉える。原爆投下から70年は草木も生えぬはずの広島に生命がある。ここから乙羽さんの原爆投下前のかつて教え子たちを探す旅が始まる。

最初に出逢うのは、広島の実家にいたかつての使用人。だが、彼は路傍で物乞いをしており、原爆の被害なのか盲目になっており、乙羽さんにも物乞いをしようとする。乙羽さんが、それと気づいても、彼は気づかない。何度も呼びかけると、物乞いの爺さんも気づくが、乙羽さんが近づこうとするのを拒否し、逃げていく・・・

それで、次に出逢うのは、いや、次も出逢い損ねることになるのは、・・・

そして、今度こそ、乙羽さんが出逢うのは・・・? 「平太くんはいる?」と橋から水に飛び込んで泳いでいる男の子たちの1人に乙羽さんが聞く。「知らない・・・」

まただ、また、不在だ! ピカッと光ってヒロシマは消滅したのではない。閃光の前も後も太田川が相変わらず滔々と流れるヒロシマは「普通に」何ごともなかったかのように、そこに存在しているのでもない。ヒロシマは虚無を抱え込んでいたのだ!

音羽さんをヒロシマの街で彷徨わせながら、新藤先生が音羽さんに許さなかったのは《何かを見つけること》だ。廣島が広島ではなく、ヒロシマになったとき、虚無を抱えた。この虚無との出逢いを記念するために、新藤先生は音羽さんにヒロシマの街を歩かせる。したがって、音羽さんに出逢いは与えられない。音羽さんが出逢うのは、無、だ。

マルグリット・デュラスの元旦那はロベール・アンテルムといい、デュラスとともにレジスタンスに加わったが、ゲシュタポに連行され、収容所送りになってしまう。後に脱出し、生還するのだが、「かくも長き不在」を実体験したであろうデュラスは、きっと酒びたりになったのではないかと思う。ヒロシマに穴が開いて、音羽さんに穴の周辺を歩き回らせながら、虚無を縁取るようにこの『原爆の子』を完成させた新藤先生と、『ヒロシマ・モナムール』と『かくも長き不在』を書いたデュラスは、不在の真っただ中で、意外に近いところにいたのかもしれない。

新藤先生は音羽さんに何も与えない。何にも出逢わせない。音羽さんがヒロシマの虚無に触れるまで。



昔の教え子のお姉さんは戦争で足を引きずるようになっていた。その女をそれでも嫁にもらいたいと戦争から帰ってきた男が言っている。それで、その姉は明日嫁ぎに家を出るという。そんな話を宇野重吉が演じる年の離れた長男から聞かされた音羽さんは、やっと涙を流して、感情表現するのが許される。宇野重吉はいつもの飄々とした表情で、夕暮れの風に前髪を吹かせているのだが、家の中の唯一の女である妹が出て行ったら、弟の面倒はどうなってしまうのだろう。ただ、宇野は、よかった、としみじみ呟き、カメラはカットが少し多すぎる印象だが、ヒロシマの奇跡を捉えるのであった。音羽さんの頬を伝う涙と宇野重吉の遠い目に、心を掴まれた。出逢い損ねの出逢い。新藤兼人は奇跡を、エピソードとして挿入したのであった。この映画は奇跡を描いたものではない。原爆の子供たちの映画なのだから。
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