みどり

プレシャスのみどりのネタバレレビュー・内容・結末

プレシャス(2009年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

白人による黒人差別の映画と思って観はじめたら違った。ゲイの黒人男性による素晴らしいフェミニズム映画だった。

わたしは男女関係において、誰にも言えない深い深い悲しみを抱える羽目になるのは圧倒的に女性だと思ってる。
レビューを見ていると、プレシャスの母親を諸悪の根源のように言う人が多くて驚いた。たしかに、プレシャスにこんなに辛い思いをさせた母親は悪だ。どこまでも罪深く、しっかりと罰せられるべきだ。でも私は鑑賞中、つい、母親の悲しみの根源はなんだろうかと考えてしまった。母親も悲被害者だったということが最後に明かされて、なんだか納得してしまった。

私は、何かを完全に、100%「悪」って決めつけることが苦手な気がする。そこには深い深い悲しみがひそんでいるような気がしてならなくて、それが「悪」になってしまった原因をつい考えてしまうから。
そんなこと、綺麗事だとかいい人ぶってると思われても当然だ。でも、怒ってる人はきっと何かに悲しんでる人なんじゃないか。人を傷つけるのは自分が傷ついているからなんじゃないか。自分のなかで処理できない悲しみが、もうなんだかわけわからなくなってしまって、自爆しているんじゃないか。そんな風にみてしまうことがある。

母親が、プレシャスと役所の女性に最後に語った言葉は、嘘偽りないものなのだと思う。彼女自身も愛されずに育って、人との暖かい交流を知らないままダメな男と出会って、すぐに捨てられたんだと思う。悲しかったんだと思う。自分の価値を見出せないまま大人になってしまったんだと思う。娘が自分より優秀で価値がある人間になることが怖かったんだと思う。

このどうしようもない負の連鎖を断ち切ったプレシャスの努力に心揺さぶられた。それを助ける周囲の人たちも素晴らしい。
母親の言葉を黙って聞いて、それを受け入れたうえで「でももう会わない」と言い放ったプレシャスも、今更悔い改めてまた繰り返しそうな母親も、どっちが良いとか悪いとか、ジャッジすることは出来ないと思った。少なくとも、画面越しに見ているだけの私たちがそんなことをするのは、なんか違う気がした。
繰り返し言うけれど母親の行為は悪だ。許されることじゃない。でも彼女の苦しみを生み出したのは、誰なんだ。男だった。
と、ここまで勢いよく書し続けてきたものの、エセフェミニストみたいになってきたのでもうやめます。
みどり

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