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流されて…のnoteのネタバレレビュー・内容・結末

流されて…(1974年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

地中海を船旅で楽しむブルジョワの仲間たち。贅沢をしながらもヨットの中で不平不満をたらたら漏らす実業家夫人のラファエラは、洞窟で泳ぎたいと言い出し、使用人ジェナリーノに無理矢理ボートを出させる。だが、ボートが故障して漂流。2人はやがて無人島に辿り着くのだが…。

10代の思春期の頃にTVの深夜放送で見て、強烈に脳裏に焼き付いた作品。
何十年も経って今Amazonプライムで再び巡り会えるとは…。
懐かしさのあまり、見つけて即鑑賞した。

高慢なブルジョアの人妻とその使用人の男が、無人島に漂着したことで立場が逆転。
男の野性的な支配で人妻の心が変化していく…という物語。
まるで貧しく不細工な男のひがみや妄想を具現化したような話だが、脚本・監督のリナ・ウェルトミューラーは女性。
ゆえに単なる男の欲望を描いた映画ではない。
笑えるコメディとシニカルな立場逆転と蜜月の日々。そして最後にはメロドラマと多彩な顔を持っている。

人間の滑稽さを俯瞰する神の視点のようで笑える前半と、心がえぐられる恋愛感情のクローズアップがある終盤の畳み掛ける展開が見事だ。
今思えば「逆ハーレクインロマンス」のような趣きがあり、女性監督ならではの細やかな演出がある。
個人的には立派なラブ・ストーリーの秀作だと思っている。

やれスパゲッティが茹で過ぎだの、シャツが臭うから着替えろだの、船上の上では完全なる女王様気取りで見ているこちらもイライラするほど最悪の女性ラファエラ。
そんな彼女にガマンし続ける使用人ジェナリーノ。
良くもまぁ出てくるなと思うほどのラファエラのワガママと、それを我慢しながら右往左往するジェナリーノという序盤はまるっきりコメディ。

しかし、金など一切の効力を持たない無人島で、まだ傲慢な態度を取るラファエラにとうとうジェナリーノはブチ切れる。
そこで、これまでの立場が一気に逆転。
それまで使用人としてこき使われていたジェナリーノは、自身がこれまでに培ってきたサバイバル能力を一気に発揮。
これまでの罰だと、ラファエラには一切何も与えない。
格差社会への皮肉である。

この状況下ではラファエラにとって、ジェナリーノはもはや使用人ではなく、指図する事も出来ない。
自力でエビやウサギなどを捕まえては食料を確保し、雨風を凌ぐ小屋を用意するジェナリーノに対し、何の知識もスキルもなく空腹で弱っていくラファエラ。
「食いたければご主人様と呼べ!」と立場が逆転し、不満を唱える度にラファエラはジェナリーノに引っぱたかれたる。

現代のコンプライアンスに縛られた世の中では、女性に手を上げるなど受け入れられないだろう。
本作の評価の低さはそこにあるのではないか?と思う。
しかし、現代において格差社会をテーマとする作品が暴力でその格差を打破するのと何の違いがあるだろう?
貧困層と富裕層の立場が逆転したならば、きっと積年の恨みと虐げる場面があって然るべきだ。
私は男だが、あれだけ文句や不満を言われていれば、たとえか弱き女性であろうとも一度たりとも手を上げないという自信は正直なところ私には無い。
「共産党を悪く言うな」とジェナリーノが言うあたり、当時のイタリアの政治背景も感じられて興味深い。

食事もままならず、主従関係も逆転したラファエラは始めの方こそ屈辱を感じ、ジェナリーノに反発する。
生きていくために服従していたラファエラも、体を求められた時は激しく抵抗する。

しかし結局はジェナリーノに無理矢理犯され、2人は男女の関係となる。
ジェナリーノは、ラファエラの全てを支配したいと思うようになっていた。
最初こそ嫌がっていたラファエラだったが、すぐにジェナリーノの野生的な逞しさの虜となり、本気で彼を愛するようになっていく。
ジェナリーノも、そんなラファエラが可愛くて仕方なくなり、2人は熱烈に愛し合うようになる。

恐らく女性は「無理矢理体を奪われるにも関わらず、その相手を愛していくなんて有り得ない」と思うだろう。
そこも評価が低い原因の一つに違いない。
しかし、想像力を働かせてみよう。
「金持ち喧嘩せず」と良く言う通り、ラファエラは富裕層の夫に性的な不満があったのかもしれない。
金持ちは雇う側への責任もあるため、忙しいものだ。ラファエラの相手など出来なかったのかもしれない。
見た目30を超えたあたりのラファエラは、身体の線も美しく、乳首の色素からも子どもを産んだ形跡は見受けられない。
今まで何不自由なく暮らしていた彼女にとって、性的な欲求不満は豊かな生活と引き換えの我慢すべきこと。
子どももおらず、夫に向ける愛は空回りで女盛りの身体は密かな欲望があっただろう。
そこで野性味溢れる男との荒々しいセックスは新鮮だったに違いない。
違う初めて知る快楽と夫とのギャップに虜になってしまったのではないだろうか?

ラファエラのSからMへの変貌は、性による女性支配。
まさに隠された男の願望で「こんな都合の良い女が男は好きなんだろう?」という女性監督の嘲笑が聞こえて来そうだ。

こうして男性なら1度は憧れる(はずの)美女との服従生活が始まる。
徐々に島での暮らしを楽しむ様になってきた2人。
誰も見ていないと島のあちこちで抱き合う姿が、直接的な性描写はないもののロケーションもあって美しい。

驚くのは、通りかかった船を見つけたラファエラが、助けを求めずに「貴方とこの島で暮らしたいから、船を呼ばなかったわ!」というシーン。
不安や緊張から引き起こされたドキドキする感覚を「あなたが好きだからドキドキしている」と錯覚する、いわゆる吊り橋効果なのだが、ここはさすがに無理があるのでは?と感じる。

島の生活に慣れると現実世界に戻ることが考えられなくなってくるのか?とは思うが、いつまでもこんな生活を続けられる訳もない。
ただ、この時はそんな理性より本能が打ち勝ったと捉えたい。
ジェナリーノとの肉欲に溺れた暮らしがこの時のラファエラにはよほど魅力的で刺激的だったのだと。
もしかしたら、男女2人の孤島生活で何もなかったはずはないと、助けた人に勘繰られるのをラファエラは恐れたのかもしれない。

しかし、ジェナリーノはラファエラが彼への愛を声高に語るにつれ、彼女の愛に疑問を持ち始める。
具体的なセリフなどないが、それまで饒舌だったのに関わらず「所詮この愛は一時の幻ではないのか?」と吹き荒ぶ風の中、悲しい目をして無言でラファエラを抱きしめるジェナリーノが印象的だ。

ラファエラの愛が本物なのかどうかを試すため、ジェナリーノはその後に通りかかった船に助けを求め、2人は救出される。
ラファエラの愛が本物ならば、また2人でこの島に戻ってくるつもりだったのだ。

港に戻ると、実はジェナリーノに妻子がいたことが分かり、ショックを受けるラファエラ。
しかし、妻子を捨てる覚悟を決め「またあの島で2人で暮らそう、手配した船で待っているから来てくれ」とラファエラに手紙を渡し、「お前の他に何も要らない。お前もそうだろう?」と電話で問いかけるジェナリーノ。
いつの間にか相手に心底惚れていたのは実は彼の方だ。

しかし、結局ラファエラは姿を現すことはなく、迎えのヘリで港を去って行く。
その飛び立ったヘリに向かって、「愛してるなんて嘘をつきやがったな!やっぱりお前らはブタだ!」と絶叫するジェナリーノの姿がたまらなく哀しい。
もう二度と出会うことなどできない永遠の別れ。
全身全霊の魂の叫びである。

あれだけ愛していると言っていたのに、ラファエラはジェナリーノの愛を裏切る。
これは「純粋な愛が金に負けた瞬間」なのだと私は思っていて、本作の中でこのジェナリーノの絶叫が一番記憶に残っている。

そして、ここが女性監督の視点なのでは無いかと思う。
男性監督なら裏切られて、永遠に手に入らない愛ならば、いっそ女性を殺して他の誰の手にも渡らないようにするだろう。

しかし、ラファエラはジェナリーノの問いかけに涙を流している。
彼女がジェナリーノを愛していることは確かだ。
自分が思い通りに出来る文明世界を前にして、ラファエラの愛は冷めてしまったのではない。

そこには男と違い、子を産むことが出来、いずれ築かれる家族との将来設計を考える女性の心理が働いたのだ。
私にはラファエラがあの島の原始的な生活でジェナリーノとの子どもを産み育て、家族を営む自信が無かったのだと思っている。
また、ジェナリーノが自分の家庭に戻り、自分の子どもを育てるべきだと、ラファエラの中の母性も働いたのだとも。
別れの瞬間にラファエラの表情も映さず、セリフにも無いが、また再びあの島に戻って家族を営む難しさという現実に打ちのめされるよりも、母として美しく従順なままではいられなくなる自分にジェナリーノが幻滅する前に、このまま身を引いて別れた方が良いと、女性らしく細やかな未来予想図を描いた上での決断なのだと私は思う。

その後、嫁に罵られながら、すごすごと家路へと向かうジェナリーノの姿はなんとも哀れだが、これはこれで納得できるエンディングだ。
「この映画は所詮作り物、現実にはあり得ない。貴方もジェナリーノのように映画を見終わったら家路に着きなさい。」と言われているかのようだ。

ジェナリーノ自身が助けを呼ばなければ、恐らくあのまま島での生活は続いていたことだろう。
ラファエラはあの状況だからこそ魔法にかかっていたのかもしれないが、ジェナリーノは本当に彼女を愛してしまったのだ。
だからこそ、止せばいいのに彼女の愛を試すようなことをしてしまった。
甘い言葉や態度より、肉体もそうだが確かな証拠を求めてしまうのは男の悲しいサガだとも言える。

肉体の結びつきが2人を離れがたくする。
自分が長い結婚生活を経た今にして思うが、その設定には説得力がある。
しかし、「他には何も要らない」とは、やはりファンタジーである。
関係を長く繋ぎ止めるためには愛と性だけでなく、生活を守るための収入も必要だというのを改めて思い知らさられる。

主人公の2人だけでなく、見ているこちらも束の間の夢物語を堪能できる。
そして愛とは幻想か?否か?を考えさせられる。
大人向けの愛の物語である。
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