陰影による顔の影の演出と砂っぽい画面の色味が物語に重厚感を添える。
俳優の顔はくっきり分かりやすく照らすという当時の原則がある中で、あえて顔が分からない状態で登場させ、役者の周囲にある最低限の明かりで顔の半分が照らし出される。
それが観客の見たいという感情を揺さぶる。
構成・脚本に関しても少々中だるみするシーンはあったものの、全体的に綺麗にまとまっている。
妹の結婚式に始まり
ゴッドファーザーの仁義と人情味を見せ
妹のヒステリーで転がし
妹の夫のそれをもって終わる。
そしてひとつひとつの演出も細かい。
タッタリアの息子を殺そうとし、トイレの裏に隠していた拳銃がなかなか見つからないリアル。
ラストシーン、彼女がお茶を飲もうと呼びかけるが、夫はマフィアの部下に囲まれて昔のように手が届く存在ではないことを示す。そして寂しげな顔とともに名残惜しげにドアが閉められる。
それぞれの人物に弱みが与えられ、それが物語に彩りを添える。
家族愛に満ちるドンコルレオーネ
衝動的に動いてしまう長兄
腕は立つが、度胸のない次兄
ただ、ヤクザ映画の傑作仁義なき戦いと比べると圧倒的に物足りなく感じてしまう。
それは役者の熱量でも、展開の早さでも、メッセージ性でも。
各登場人物がコルレオーネファミリーに都合よく殺されすぎている感がある。
最終的にコルレオーネの力押しの全員皆殺しで話が終わったのが残念でならない。
あれでは、親分が何人いても足りないだろう。
仁義なき戦いでは、親分がとられるときはそれ相応の理由があった。
感動と少しの切なさをたたえたアカデミー賞の教科書のような作品であった。
いわゆる映画っぽい職人仕事のようなものにあまり満足しなくなってしまったのかもしれない。