くまちゃん

ルパン三世 カリオストロの城のくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

1971年、ルパン三世のTVシリーズが放送されると、当時としては異色のアダルティな雰囲気に視聴者が追いつけず、対象年齢を下げるという元請けの要求も飲むことができなかった監督大隅正秋は番組降板を余儀なくされた。
その後を引き継いだのが宮崎駿と高畑勲である。彼らはルパンの基本設定から見直した。裕福であるが故の倦怠を紛らわせるため盗みを働く大隅ルパンから、結局は何も盗まない貧困な宮崎ルパンへシフトチェンジしたのだ。
ルパンの車が高級車ベンツから安価なフィアットへ変更されているのも同じ理由によるもの。
宮崎駿が初めて演出(監督)を担当したルパン三世に対し強いこだわりがあるのも頷ける。

そんな宮崎駿が映画初監督を務めたのが今作。1971年から始まったTVシリーズ、1978年からの劇場版、1989年からのTVスペシャル、どのルパン三世と比較しても王道でありながらも異質であり、独創的であり、故に金字塔なのである。

ルパン三世は登場、戦闘、逃走のシークエンスをルパン三世のテーマとともにスタイリッシュなわちゃわちゃ感を演出し、タイトルはタイプ音とともに表示されるのが約束事となっている。

しかし今作は、冒頭、盗んだのが偽札と気付いたルパンと次元が車から札束を投げ捨て、海に舞う紙幣をバックにしっとりと「炎のたからもの」が入り、しれっとタイトルが表示される。
カーチェイスとともにルパン三世のテーマが流れるが、通常どのような展開があっても切れる事がない音楽が手榴弾とともに一度区切られる。これはありそうでない演出。ルパンの「まくるぞ」の声とともに曲が再開し盛り上がりをみせる。オープニングにして観客の興奮は最高潮。

フィアットのタイヤ交換をする際、次元はスペアタイヤが丸坊主、つまりすり減って凹凸がない状態であると明言している。スペアタイヤをすり減るほど使い込み履き潰す事など通常あまりないだろう。つまり逃走や戦闘時の熾烈なカーチェイスによるものと思われ、死と隣り合わせのルパンとフィアットの過酷な生活を読み取ることが可能である。

クラリスとその追手を見たルパンがフィアットを急発進させる際、次元は外で飛び乗る形になるが、タイヤ交換をしていた次元がタイヤの増し締めをしている姿が一瞬映る。
つまり次元はこれから始まるであろうカーチェイスに備え、ルパンの危険で無茶で正確な運転技術がタイヤへかける負担を理解しているからこそギリギリまで増し締めをしていたのではないか。ここにプロとしての危機管理能力の高さと、ルパンを支える相棒として大和撫子的な日本古来の奥ゆかしさが垣間見れる。
次元は言わば伴侶なのだ。

カリオストロ伯爵の腹心の部下ジョドーは暗殺集団「カゲ」を統率している。
個々の戦闘力が高く鎧のようなスーツで武装したカゲの存在は作品をよりサスペンスフルに仕立て上げる。
クライマックスでは直接的な描写こそないが五右衛門と戦っていたことが示唆されている。つまりジョドーは見かけによらず相当の手練なのだ。
ジョドーの凄さは歩行するカリオストロ伯爵を立ち止まらせる事無く衣服を脱がせる場面に集約されており、紛うことなき達人なのが見て取れるだろう。

偽札をばら撒いたり、サーチライトで追われたり、宝石を吸引したり、フィアットがパンクしたりとファーストシーズンへのセルフオマージュが散見され、旧来のファンを楽しませてくれる。

今作がアニメーションの域を脱し、映画としても優秀なのは語らない美学によるものが大きい。
モナコのカジノから現金を奪う場面では
バックを抱え、嬉しそうにニヤけるルパンと次元、その逃走中に建物の中で明かりが点灯する。彼らが大金を盗んだことは誰の目にも明らかだ。しかし一切の説明はない。
ちなみに追っての車はそれぞれバラバラになるが、前後で真っ二つに切られているものがある。こんな芸当ができるのは五右衛門しかおらず、逃走するフィアットの後部座席にちゃっかり頭部が見えている。五右衛門の扱いには大人の事情が絡んでいるとのことだが、隠れ五右衛門としてファン心をくすぐられる。
ラスト、クラリスへ別れを告げたルパンを次元はイジるが、無言でたそがれるルパン。ふだん陽気で饒舌なルパンを黙らせることで別れの哀切を写実的に描写している。

ルパンが撃たれる場面で、衣服が盛り上がり、バックでオートジャイロが桃色の火を噴くことで出血したように見える。
その演出力たるや、宮崎駿はアニメ界のスピルバーグと言っても差し支えあるまい。

時計内での歯車アクションはチャップリンの「モダン・タイムス」を彷彿とさせ、アニメならではの楽しさのほか、それを実写で演出したチャップリンの偉大さを逆説的に感じずにはいられない。
ここでルパンは歯車の巨大なボルトを緩めて脱落させる場面があるが、回転方向が逆である。通常ネジは右に回すと締り、左で緩む。歯車の回転の相互関係により緩まる場合は設計上逆回転になる場合もあるが、見た所歯車の回転とは無関係なシャフト部分だったためそこに意識はなかったのだろう。それか時計塔だから時計回りに回転させたのか、定かではない。
そもそもあの大きさのボルトがスパナで手動で外れるのであれば、そもそも締りが緩く整備不良である。カリオストロ家には暗殺集団はいても整備士はいないのかもしれない。

宮崎駿が取り上げられる事が多い今作だが、それを支え、傑作たらしめているのは作画監督大塚康生の功績が大きい。
大塚は「アニメーターは演技者である」との持論通り、作品に映る全ての人や物は躍動感と疾走感に溢れている。特にフィアットも大いに表情豊かでまるで生きているかのようだ。
麻薬取締官事務局勤務という異色の経歴を持つ大塚は、押収された拳銃を分解したりスケッチしたりすることが多かったそうだ。本人の多趣味な性格もあり、ギミックのディテールに並々ならぬ熱意と拘りをみせる。
不二子が使用する機関銃はイスラエル産のUZI(ウージー)、クラリスが運転する車はシトロエン、それを追うハンバー・スーパー・スナイプ。外連味溢れるファンタジックな世界観にリアルな銃器や車が登場することでリアルに近づけ、アニメとしての格をあげる。彼らは描かれているのではない。演じているのだ。

クラリス演じる島本須美、城というモチーフ、随所で見られる水の表現。後にジブリ作品へと紡がれるバトンの数々を探してみるのも、今だからこそ出来る今作の楽しみ方の一つだろう。
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