ニューランド

女生きてます 盛り場渡り鳥のニューランドのレビュー・感想・評価

3.7
☑️『女生きてます 盛り場渡り鳥』(3.7)及び『黒木太郎の愛と冒険』(3.8)▶️▶️

勿論、森崎が圧巻の足跡を残したのは’70年代で、素晴らしいスタートダッシュの後は、豊かも鬼気迫る筆致を見せていた。
必ずしも『女(生きてます)』シリーズの後半2本は、最初のたどたどしい初々しさが妙に上手く巧みになってて、圧倒的に好きでもないのだが、安くFAで観直すつもりが、2回とも売り切れだったので、そんなに人気作品かと、こっちの催しに足を伸ばす。
確かにこれは、ごく初期を除けば森崎作品中随一の贅沢さか、撮影もだが美術作り込みも含めた時間·予算はスタジオ時代でないと無理·かつ豪腕監督のゴリ押し力か、見応えのある作品だ。ワンカットずつ、コマ飛び·画面中央抜き·血の赤染め他色々トリッキー入れ、カット尻のズームや縦移動加えの丁寧、物のCUや90°変·俯瞰入れの細かいスタンダード押さえ、アクションのフォローやセットバラしのダイナミズム等は、直ぐに目につくが、作品全体のレベルを日本映画史の高名作とも比べたくなる。そのオープンセットらの汚し方·拡がり·生活垢·存在感·細部(暖簾から山羊まで)·リアル建築で、黒澤映画を凌駕し、都市の片隅の庶民の生活感·リアル·共通記憶は『泥の河』を問題にせず、感傷の臆面もないさらけ出し·昇華は大林作品を上回る。
とりわけ、俳優陣だ。彼らにとって会心の出来というのではなく、演出家にとことん要求しつくされ、本人も意図しない無の境地というべき所に、多くの俳優が普通に届かされてる。吸いつくされてる感。吸ったのか吸われたのか分からんという、とりわけ、本作の仇役を一手に引き受けたような春川ますみが圧巻だ。フェリーニ映画の巨女たちが、より解放され暴れ出した感で、しかし、当時これに女優賞を投じた人はいるのかな。存在感優先のタイプ演技の多かった彼女がここまでいっちゃったというのは、あったのかな。
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「黒木~」は、ATG作品だが、一般的カット割り·特に人のアクションの度の押さえとカット替えは、スタジオ映画の丁寧さに更に尾ひれを加えたもので、予算その他で「渡り鳥」ほど美術·セットを作り込めない分、映画の手触り·感触を入れまくってる。フと、縦の図·90°の押さえ·大CU·細部整え·対峙力·ナレーションらが高度に組み込まれ、アクションの場もカメラも役者も切迫丁寧と生身迫力を詰込み且つ的確で大作の力·密に負けない。有名役者らも汚物もくそもなく、作品の世界の一部になりきってる。しかし、更に重要は、これこそ正に森崎の私映画であり、森崎兄弟の感情·記憶·出版物の全てをぶちこみ、鬼気迫るとはこの事だと想わせるくらいの恐ろしさだ。こんなパーソナルな企画は確かにATGでないと通らないし、森崎氏が亡くなられてあの世の入り口で生前の証しを求められた時、迷いなく、本作を差し出しただろう。
「男は常に女には優しくしてほしいもの。それを誤って捉えて」「俺は何なのか、何の為にここに。それを解ることも」「自分の身体だから、売春は勝手? それよりも、本当に覚悟があるのかていう事だ」スタントマンの日常は?と始まってそんな場末の他者との関わりを示してく作品は、彼に心酔して取立て代行も酒の力借りて故·命縮める男、海千山千の妻の姉妹ら(売春組織へ家出のその娘も)、元刑事の大人のオモチャ屋、教え子らにレイプされ·猫公害になった女ら、が登場するも、狂言回しできた若手役者らの一人が、若き森崎自身となりニュアンスが、変わってくる。元砲兵隊長·割腹自殺·言葉遺した父(三國が演ってるも、森崎の兄そのままに近く)との、内と外の格闘がウエイトを無遠慮に占めてきて、映画を突き抜けてゆく奇怪·そら恐ろしいことになる。血の即物的滑り·離れたところからのオブセッション、凄い描き込み、というか描写を超えている。
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