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幻の薔薇のnetfilmsのレビュー・感想・評価

幻の薔薇(2009年製作の映画)
4.0
 戦争から開放され、マージョリー(レア・セドゥ)はパリに出て美容サロンで働き始める。バラ栽培の研究者ダニエル(グレゴワール・ルプランス=ランゲ)と出会い結婚、念願のアパルトマンを手に入れる。美しいものに囲まれた理想の結婚生活を求め、贅沢な家具や家電を買い漁り、真っ赤なスポーツカーを乗り回す。いつしか借金地獄にどっぷりとつかっていき、田舎での静かな生活を望む保守的なダニエルとの間に、決定的な亀裂が生じ始める。今作を決定づけているのは、オリヴィエ・アサイヤス、アルノー・デプレシャン、2000年以降のアラン・レネとタッグを組んだエリック・ゴーティエのカメラだろう。人物の動きを据えたカメラの瑞々しい動きが、マージョリーとダニエルの蜜月から破滅までをダイナミックに描き出す。その視点はまるでヌーヴェルヴァーグのような輝きに満ちている。動く対象をしっかりと把握しながら、空間の中の個を強烈に想起させる流麗なカメラワークはアモス・ギタイと組んだ今作でも変わらない。

 その自由奔放で流麗なカメラの動きの中で、自由奔放に振る舞うレア・セドゥが非常に素晴らしい。彼女の表情からは独特の憂いが感じられ、影のある女を見事に好演している。ベッドに横たわる姿にはセドゥ独特の退廃する女の美しさがある。彼女の退廃感や背徳感は若手女優の中では圧倒的な熱量を誇っている。彼女の人物描写が男には走らず、ひたすら浪費一辺倒という設定もなかなか効いている。思えばアモス・ギタイは、これまでのフィルモグラフィにおいても、歴史の断片を切り取り、そこにある種のリアリティとダイナミズムを刻み込むことにかけては非常に優れた作家だった。今作においてもドイツの圧政に苦しめられた混乱の時代から解放され、フランスの女性たちは皆一様に美に対して、貪欲になるだけの時間的余裕も経済的余裕も持っていた。そういう時代の些細な描写の積み重ねが非常に素晴らしい。日本における高度経済成長期のように、勤勉に働きさえすれば、誰もが国の成長を実感出来た時代の中で、見栄と虚飾の世界で上っ面だけで生きていこうとする女と、決して金持ちであることを誇ることなく、田舎での暮らしを夢見る男とではあまりにも価値観が違い過ぎる。
 
 彼らの婚姻生活は冒頭から不穏な空気を帯び、その空気を解消出来ないままやがて崩壊していく。この緩やかに崩壊していく様子を滑らかに描くことが、メロドラマの作家としての良し悪しを決める。メロドラマにおいては、常に物事は突発的に滑り台のように急角度で落ちていくのではなく、ガラスに入った一筋の日々が徐々に幾重にも重なり、崩壊へと向かう。ギタイはそのきっかけに、自分より仕事は出来ず、容姿がない1人息子を支える1人の年増の女性を持ってくる。職場における主人公と年増の女性の立ち位置をゆっくりと描写しながら、この女性がやがて夫婦の崩壊のきっかけになる。観客はこの女性の危険さを理解するものの、レア・セドゥだけは遂に気付かない。禁欲的な部屋でのカメラワークが、ラストの真に躍動するカメラワークに繋がるのである。
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