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男はつらいよ 純情篇の010101010101010のネタバレレビュー・内容・結末

男はつらいよ 純情篇(1971年製作の映画)
1.0

このレビューはネタバレを含みます

厳しい言い方をするが、こういう映画を喜んで観れてしまえるメンタリティが、まったく分からない。
(若尾文子が綺麗って、それだったら増村保造の方がずっと綺麗に撮ってるだろうに)。
そんなんだから、この国の「国民」は明治維新やら太平洋戦争に突入せんとする戦前からメンタリティが変わらないって言われるんだよ。

クソみたいな夫に何度も泣かされ、苦悩し、家出を考えながらも耐えに耐え、それでも遂に夫のもとから出てきたであろう女が二人、(不義理をした故郷に戻った女が一人、そして自分の人生を始めようとする女が一人)。だが最終的に、旦那のもとに戻れ、家庭に戻れ、それが女の人生なんだ、そこに(しか)女の喜びはないんだ、とでも言わんばかりの展開。
いや、男だってそうだ。自分の人生に踏み出そうとする、挑戦しようとするのではなく、育ててくれた会社にどこまでも恩を尽くすこと、それが人生なんだ。人生とはそういうものなんだ。それで一件落着、「よかったねぇ(人情)^^」、と納得させにくる。
どこまでも保守的、家父長制的で、全体主義的な展開。
クソ食らえだ。

渡世人にもかかわらず、なかなか故郷を捨てきることもできず、ついつい帰ってきてしまう寅次郎は、どこまでも半人前で無責任な男として描かれる。
彼の取り柄は人情だけだが、それが魅力ではあるし、何より寅次郎にはペーソス(哀しみ)がある。それが人の胸を打つのは、まぁ、分かる。
言ってみれば、一人目の女のペーソスも、二人目の女のペーソスも分かるし、世話になった人(や会社)を足蹴にはできず、野心は胸の裡にそっとしまったまま最期まで尽くし、そこでのささやかな幸せと共に生きてゆく男の哀しみも、分かるには分かる。

だが、そのペーソスを温かい眼差しで描くのはまだいいとしても(それは木下惠介映画だって小津安二郎映画だってそういうところはある)、「家(夫)」や「会社」に諦めとともに従属して生きることを(そこにもそれなりの小さな幸せはあったりするものだから、そんなところで納得させ、)肯定しようとする…、このメンタリティって、実は、かなりヤバイんじゃないか。
極論すれば、「国家」が戦争を「国民」に強いたことの責任を、なんとなくうやむやなままにしてしまったことと、どう違うというのか?
「お国」がやっていることなのだから、そこに尽くすべきだ、それに従うべきだ、という考えと、どう違うのか?と問いたい。
まったく別の問題と思われるかもしれないが、この映画で「夫のもとに戻れ」と云う森繁久彌が、「お国のために胸を張って死んでこい」と言ってしまう姿は容易に想像できるし、
この映画ですべてがうやむやなまま、なんとなくハッピーエンド風に終わっているのは、今の日本が様々な問題を直視もせずに目を背け、問題を先延ばしにしながら、うやむやなままにやり過ごし、それでいていつまでも「先進国ズラ」している姿と同じようにしか見えない。


まぁ、それはそれとして。
「男はつらいよ」という映画、たしかに、昨今失われて久しい「江戸の風」(立川談志)とでもいうべき粋な空気に包まれた庶民的な喜劇性とペーソスは、魅力ではあるかもしれない。
山田洋次のそういった演出はまだいいとしても、脚本はあまりにもご都合主義に過ぎやしないか。
最初と最後に出てくる五島列島関係の話だけで一本筋を通してくれていたら、もう少しは評価していたかもしれない。宮本信子ではルックス面で役不足ということらしい。
一方のヒロイン(若尾文子)へのとってつけたような恋はクソつまらない。