ケーティー

男はつらいよ 純情篇のケーティーのレビュー・感想・評価

男はつらいよ 純情篇(1971年製作の映画)
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「家族」をテーマに三つの話を束ねた群像劇


序盤は宮本信子さん演じる子連れの若い女性の話。夫が競輪狂いで、仕方なく連絡もとってない五島の田舎に帰るが、帰ってそうそう森繁久彌さん演じる父に、すぐに夫の家へ帰れと説教されて……。
ここは落語でいうところの枕でもあり、後のフリにもなってるエピソードで、早くやらないといけない。そのあたり、船着場近くでの会わせ方や服を脱ぐ件など、捌き方がスマートで内容がしっかりありつつも短くよくできている。

そして、いよいよ本編に入るのだが、この初めのエピソードで、俺は帰る家がいつでもあると思うからダメなんだよと散々云わせておいて、いざ帰ったらおいちゃんおばちゃんがよそよそしく、実は親戚の家出人に寅の部屋を間借りさせてしまっているから喜劇になる。(ここで、このよそよそしい演技がないと、おいちゃんおばちゃんの罪悪感が出ず、喜劇にならないだろう)

そして、全体では若尾文子さんの演じるマドンナの家出話がベースにありつつも、博の独立問題のエピソードも途中である。中盤はコント的な展開が続き、マドンナとの二人のドラマというよりは、ドタバタ喜劇にゲストとしてマドンナがいる感じだ。おいちゃんが森川信さん、渥美清さんもまだ若く、そして、ゲスト出演の松村達雄さんもよく、このあたりの瞬発力や間合いは見事。とにかく面白いのだが、なんだコントだけかと思うと、そこでラストのマドンナのエピソードをもってくる。あっさりと決断するマドンナ、ここは実はその前の博さんのエピソードが効いていて、さりげなく手紙の返信で「遠くの親戚より、近くの他人」をやった上で、マドンナのエピソードをやるからいい。(ここで誰かが悪いとか、どちらがいいとか言わせないのがいい。おそらく、さくらの台詞通りに受けとる人もいるだろう)どちらが正解ではなく、家族のかたちにも色々なものがあるのだ。

終盤も構成がよく、有名な駅舎のシーンは情緒的なんだけど、発車がけの電車からは哀しくもおかしみのあるシーンがいい。
そして、ラスト手前で初めのエピソードの結末を見せるのだが、ここは少ない芝居で親の喜びとかなしみを見せる森繁さんの芝居が素晴らしい。そこまでに至るところのうまさもあるのだが、背中の芝居をまさしくやっている。
こうしたことを踏まえて、ラストは寅さんの浜名湖での的屋のシーンで終わる。ここは長く見せる。口上を見せるシーンがいつもより少し長いのだが、それがどこか観客に切ない感情を抱かせ、涙を誘う。それはもう、観客がこの時に、寅さんにとっての「家族」や「故郷」への想いを、台詞は全く関係ないのに、観客が心で色々と想いを巡らせてしまうからだろう。単に複数エピソードを足して1つの映画を作ってるのではない。「家族」という1つのテーマに向けて、そして、このラストのため、複雑に絡み合わせて1つの映画にする。見事な構成である。