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女鹿のnetfilmsのレビュー・感想・評価

女鹿(1968年製作の映画)
4.0
 弦楽器の不協和音にミシェル・ブーケに捧ぐの文字、フランスのパリの街並み、セーヌ川にかかる橋の上で絵を描くホワイ(ジャクリーヌ・ササール )には小さな人だかりが出来ている。彼女が一心不乱に描くのは猛々しい牡鹿の絵。南仏から来ていた貴婦人フレデリーク(ステファーヌ・オードラン)はその姿を見て、一瞬で恋に落ちる。橋の上の石畳に無造作に投げ込まれる500フランもの大金。貧乏なホワイはその大金に目が眩みながら、戸惑いの表情を浮かべている。長い脚にピンヒール、黒のミンクのドレスに身を包むフレデリークのゴージャスな姿。そんな彼女とは対照的に深緑のタートルネックに、GジャンとGパン姿の質素でいかにも貧乏なホワイの出で立ち。フレデリークは美術が好きなホワイの機嫌を取ろうと、蚤の市で幾つかの絵をピックアップする。だがオリジナルかコピーかの区別も付かないフレデリークは恥をかいてしまう。南仏サン=トロペからこの地にやって来た富豪のフレデリークは、パリにもう一つの部屋を持つが、そこにホワイを案内する。人も羨むようなブルジョワジーの優雅な暮らしにホワイの心はときめく。翌朝、2人はサン=トロペにあるフレデリークの豪邸を訪れる。

今作はシャブロルの出世作で、ヌーヴェルヴァーグ不朽の名作として知られる『いとこ同志』とは同工異曲の様相を呈す。田舎町で温和な母親に育てられた23歳の貧乏学生シャルルと、都会で友人を住まわせながら、パリのアパルトマンで優雅な生活を送る従兄のポールの対照的な構図は、ホワイとフレデリークの関係性に置き換えることが出来る。サン=トロペにあるフレデリークの豪邸、女中のおばさんとリエとロベーグという醜悪な2人の男を金で囲う囲う暮らし、ケニアやモザンビークから取り寄せた動物たちの角の剥製、毒付きナイフ、いかにも趣味の悪いインテリアで彩られた歪な空間では、夜な夜なリエとロベーグによる音楽とは呼べないレベルの不快な演奏が始まる。フレデリークはパリで貧しい暮らしをして来たホワイに有り得ないような優雅な生活をさせる。年代物のワイン、家政婦に作らせたご馳走、クラシックのレコード、着なくなったネグリジェを彼女に羽織らす。こうして自分と同じものをホワイに与える様子は、同性愛の関係を暗喩している。だが平穏な蜜月関係はある男性の出現をきっかけに歯車が狂い始める。ある日のフレデリークが催したパーティの席、ポーカーに興じる建築家のポール・トマ(ジャン・ルイ・トランティニャン)は林檎を囓るホワイの姿に目が釘付けになる。この場面は『いとこ同志』において、ポーカーに興じるシャルルがフロランスに一目惚れする描写に呼応する。

その証拠にシャブロルは、午後3時という彼らの待ち合わせ時間にまで符合を加える。導入部分で一心不乱に描いた牡鹿の絵にも明らかだったように、貧しいホワイは力強い牡鹿(男性器のメタファー)を求めている。ポール・トマと出会った夜、荒涼とした白樺の木の生い茂る森の中でトマに唇を奪われた生娘は、その夜、女としての通過儀礼を済ませる。だが天にも昇るようなホワイの幸せの絶頂が、嫉妬深いフレデリークには我慢ならない。翌日、トマを罠にはめて誘惑し、恋人としての契りを結ぶステファーヌ・オードランの悪女ぶりが容赦ない。『いとこ同志』ではシャルルの恋は一度も成就しないまま終わりを告げたが、今作ではホワイの処女を奪った男が翌日にはフレデリークの恋人として彼女の前に立つ。ホワイの衝撃たるや計り知れない。フレデリークとホワイ、彼女たちの間に立つトマの三角関係が歪んだトライアングルを見せるクライマックスの描写が醜悪で容赦ない。深夜の馬鹿話、レコードは音飛びし、フレデリークとトマのアイコンタクトにホワイの心はズタズタに切り裂かれる。夜風を浴びるために外に出た3人、ふとトマの口から出た「愛する女鹿たちよ」の言葉がホワイの心を一層締め付ける。ヌーヴェルヴァーグ的作風をもっとも早い段階で逸脱したシャブロルは、盟友ゴダール、トリュフォー、リヴェット、ロメールらが映画にこだわり続けるのとは対照的に、早くからTVの2時間サスペンスに活路を得る。今作でフレデリークを演じたステファーヌ・オードランはシャブロルの2人目の妻であり、恋人役を演じたジャン・ルイ・トランティニャンはオードランの元夫である。トランティニャンもよく出演に応じたと思うが 笑、現実とフィクションがごちゃ混ぜになったある種の冷徹さと倒錯性こそがシャブロル作品の根底には息づく。
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