シズヲ

絞首台の決闘のシズヲのレビュー・感想・評価

絞首台の決闘(1959年製作の映画)
3.6
強盗に加担した青年を絞首刑に処すべきか否か?まさかの法廷西部劇。『GOOD DAY FOR A HANGING』なる原題が妙に味わい深い(絞首刑にはいい日だ、なんてテンションの映画ではない)。銀行強盗に押し入る一味と主人公や保安官らの日常を交互に映し、いつ犯行に気づくかも分からぬ緊張感の果てに銃撃戦へと至るスリリングな冒頭が秀逸。映画の中盤はほぼ法廷でのサスペンス的な争い(初期の開拓地にある即興の裁判ではなくちゃんと弁護士や検事などが付いている)がメインになるなど、異色の構図が見受けられて面白い。被告の青年、よく見たらナポレオン・ソロだ。

戦後の西部劇で見られるようになった“法と大衆の対立”がある種の形で描かれているのが印象的。主人公はあくまで厳格に犯罪を処罰しようとするものの、自身の娘や街の人々などは被告の青年へと肩入れしていく。法廷で判決が下されてもなお町民達は嘆願書によって抵抗を試みる。主人公が処刑を望み、それ以外の面々が人命を救おうとする逆転構図が奇妙で面白い。「奴が撃ったように見えた」→「ように見えた?断言はできない?」→「いや、断言はできない」という野心家の弁護士による尋問は嫌らしく映るけど、司法や群衆による監視が不十分な時代における立証が如何に困難なものであったのかが伺える一幕でもある。そういう意味で“立会人や見物人がいる上での決闘”は無法の時代なりの作法だったのだなあ。

テーマはとても興味深いが、対立構図としてきっちり機能しているかは若干微妙。というもの、処刑反対派の代表格である主人公の娘が完全なる私情で動いているんだよな。主人公は“娘と被告の仲を疑ってるが故に処刑を急ぐのでは?”という疑念を人々から持たれるけど、それを言ったら娘の方が露骨すぎる。主人公も別に生真面目なだけで私情云々が介在しているようには余り見えない(頑なではあるけど)。“処刑することの重み”は検事も主人公も体現してくれるけど、内容に対して“法と罪”の関係や是非に関してはあんまり掘り下げられないのも気になる。ラストも結局強盗一味側の予定調和的な暴挙によってなあなあでハッピーエンドに向かった感はある。
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