あなぐらむ

黒いドレスの女のあなぐらむのレビュー・感想・評価

黒いドレスの女(1987年製作の映画)
4.6
崔洋一が亡くなった。73歳、村川透なんてまだぴんぴんしてるのに若すぎる死だ。舘さんとか恭兵さんとかと変わらんという。なので追悼である。
複雑な経路でセントラル・アーツ作品なのに東宝系での公開となって、今は角川大映が持っているという(崔作品では「花のあすか組!」も東宝系だったような)一本で、東宝系列に馴染みが無かったため初見はVHS。若い頃にはほんとに何度となく観た作品だ。

角川映画時代の崔洋一映画はとにかく画が尖鋭的で乾いていて、これは浜田毅の撮影がかなりのウェイトを占めると思われるが本作も冒頭の高速道路からとにかく画がかっこいい。ため息が出るほどだ。そこに dip in the Pool の音楽が重なる。この時代で一番、洗練されていたのではないか。そんな件である。「友よ、静かに暝れ」のタイトルバックの梅林茂といい、映画の導入とはかくあるべくき、という「ルック」で観客を鷲掴みしていく映像の組み立て。初期崔洋一作品に伴走する浜田毅は、村川透でいう仙元誠三のような関係だったろう。

北方謙三のこの原作は、正直あまりよい仕上りではない。当時買って読んだが、月刊キタカタと呼ばれた時代の数少ないハズレである。
それに持って来て脚本は田中陽造である。ハードボイルドとして粒だった前作とは真正面で違う。この辺りが黒澤満さんのプロデュースの妙味だろう。結果的に上がってきたホンはいつも通りの田中陽造、「人が何かを待つ」話である。留保の時間と言っていい。何かとは、人の死である。
殺す/殺される。逃げる/逃がす。その幕間のような時間。その揺蕩いの中を、少女でも女でもない、原田知世が遊泳する。これはアイドル映画である。原田知世というまだ不鮮明な存在に「黒いドレスの女」へのステップを用意する。そういう映画である。
その中で、菅原文太と藤真利子の心中が唐突に差し出される。前段で藤タカシが殺し損ねた文太は、自ら進んで女との死を選ぶ。やくざの軛ではない所で死んでいく。その、代替された死でもって通過儀礼をすり抜け、原田知世は出奔する。「消えた。黒いドレスの女」と少し嬉しげに言う永島敏行が良い。

男たちが皆いい顔をしている。逃がし屋の永島敏行、ルートの手配をする室田日出男(前作から連投)。若い極道の藤タカシの甘さと鋭さ。ちょっとセルフパロディにも見える菅原文太のバーテンダーぶりも見物だ。水割りが一番難しい、というのはこの映画で初めて知りました。

そんな男たちの前で、大林作品とは違う勝手の原田知世はやはり薄味で、だからこその dip in the pool の甲田益也子の声が涼やかに彼女を洗練させていく。時任三郎がちょい役出演している(アイスをずっと喰っている依頼人という、癖をつけた役柄)。まだ若い伊藤洋三郎が弾けていていい。

崔洋一なりの「ハードボイルド」観がこの角川-北方原作作品にはあるように思う。饒舌に台詞で組み立てるのではなく、すっと映像を見入らせるような、小説でいう所の「文体」が貫かれている。全体的に乾いている。湿度はあるが低い。それが映画の格を上げている。映画は画で語る。北方文体のようにスタッカートで文章を紡ぐように、作品がビルドされている。
万人に面白さを強制しない。突き放したような、そんな仕上りになっている。

映画は綺麗に冒頭のシーンと韻を踏んで終わって行く。この光景をずっと観ていたい。そんな風に思わせる映画は多くない。
角川映画がひっそりと残していった佳作であり、崔洋一の商業映画作家としての前半のピークとも言える一本である。

併せて「友よ、静かに暝れ」のレビューもご参照されたい。
https://filmarks.com/movies/19691/reviews/136997354

お悔み申し上げます。