ゴダールが『アルファヴィル』で描いた光景とは別の道筋で、僕たちの心は奪われていくのかもしれない。
『アルファヴィル』が1965年、本作が1999年。
そして今は2019年。
『アルファヴィル』や『大いなる幻影』の描く世界は近づいてもいるし、遠ざかってもいるように思う。
ベイシックインカムは人の人生を豊かものに導くのだろうか。それとも本作が描く世界の終わりように、人との繋がりや、生きているという感覚を奪っていくのだろうか。AIはアルファヴィルが描くほどには無機質ではなく、ソフト面重視の設計に傾いているようにも見える。
映画が描くことを嫌った外部を、外部好きの黒沢がふわりと描く。アオザイは、映画の境い目の外側にある。
日本のない世界地図。
当時観た時にはピンとこなかった。あれから20年経って日本人の国家感はかなり変わってきているようにも感じる。実際、僕も変わっている。
間違いなく言えることは、内部無くして外部はないということ。そして逆もまたしかりだということ。
当時観た時よりも、思うところが多かった。
具体的な時代設定はほぼ語られていない。しかし、だからこそ感じることの多い映画だと思った。