詩人を捨てた後の武器商人としてのランボーと彼の文壇(詩壇?)での傍若無人な様や荒唐無稽らしき様が交互に折り合わされて映像化されていく、人間ランボーを描くにしてはあまりに稚拙に見え、さしたる興味はおろかそもそも言いたいことなど何もなく見えてくる。
それでも何か忘れがたいものが持つB級感に目がくらむのは、それがランボーだから?そうか、そうなのかもしれない、にしてもあれは果たしてほんとうにランボーだろうか?
イタリア人がランボーを撮るとこうなるのかしら、などとうがった見方をしてしまったりしたが、私的にとても楽しかった。