horahuki

乱暴者のhorahukiのレビュー・感想・評価

乱暴者(1952年製作の映画)
3.8
腐敗した権威への厭世的な眼差し

絶対に追い出したい大家と絶対に出て行きたくない住民たちの立ち退きバトル。『乱暴者(=ブルート)』のあだ名を持つ大男を雇い、大家が住民たちに圧力をかける中で始まる大男ブルートの悲劇的なメロドラマ。

屠畜場で働くブルートがアパート住民のリーダー格であるカルメロをビビらすつもりで殴ったら、病気持ちだったせいで死んでしまう…。その後、ブルートは大家の妻に気に入られるが、カルメロ殺害に反発した住民たちに追われ、逃げ込んだ先の娘メーチェと恋仲に。ただメーチェはカルメロの娘だった…。

全部ブルートの自業自得って片付けてしまえる話でもあるんだけど、ただの豪快な乱暴者ではなくて、様々な面を併せ持った非常に人間臭い人物として描かれるために、そのリアリティからくる魅力が、本作が設定する社会情勢を超えた普遍性を獲得してしまっていて単純にドラマとして面白い。それが忠義から始まり転落へと向かう後戻りのできない地獄な物語に深みを持たせていて良かった。

ブルートにとって大家は恩人であり、父親のような存在でもある。本作と同年製作の『エル』が父権=旧来的価値観の継承危機からの破滅を描いたように、本作からも同じとは言えないまでも類似の意図を感じた。もちろんやってることはかなり違うのだけど。

ブルートの第一の転落は、彼にとっての神である大家の命令に従ったために行われたカルメロ殺害であり、そこからブルートの地獄は始まる。そもそも、聖母マリアのような宗教画からカメラを下に動かすと、仲間と談笑しながら動物を屠殺するブルートが映るという初登場シーンからもその転落の予兆が暗に示されているわけで、父権だけに限定しないキリスト教的価値観がもたらす破滅(宗教を説く側の腐敗)が本作の根底にあることが読み取れるのではないかと思う。

ブルートは人の良い性格でありながらも欲にも忠実な基本的にアホな人。そんな彼が彼にとっての神とも呼べる男だったり女だったりに翻弄され誘惑され…を繰り返すうちに堕ちていく様子は、神からの教えに翻弄されるだけの愚かな人間の姿を投影したものなのだろうけど、それは神そのものではなく、教会等の教えを扱う側に向けられた皮肉なのではないかと感じた。もちろん資産家-労働者という持つもの-持たざるものの文脈があるのは当然として、ブルートはその二元論で単純化させないよう意識されているように思えるのも良かった。

そして、本作は『エル』とは違い、ブルートが真なる自己の意志(名前)を獲得し行動し始めるのも面白いところ。教会なり何なりの腐敗した権威に対する救世主的…とまでは流石に言えないんだけど、そのあたりはリアリティという究極的な惨さへの厭世的なブニュエルの視点があるのではないかと思った。ラストの鶏は、腐敗した権威に向けられた屠殺される側(持たざるもの)の視線のように感じた。
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