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『小さな旅人』に投稿された感想・評価

Jeffrey

Jeffreyの感想・評価

5.0
「小さな旅人」

〜最初に一言、超・超・大傑作。間違いなく今年観た旧作の5本の指に入る。アンゲロプロスの「霧の中の風景」同様に幼い姉と弟の旅を描いた優しくも苦しい作品だが、本作のテーマは女性差別、貧困、処女売春等、多くの問題が取り上げられている。惜しくもアウグストの「愛の風景」にパルムドールを奪われたが、その92年に審査員特別賞(グランプリ)に輝いたアメリオ監督の最大傑作だと思う。これがVHSのままというのが本当に信じられない。大人の身勝手な社会に傷つく幼い子供達の地獄のような日常とレッテルを貼られる少女の苦しみをネオレアリズモの息を吹きかけ描ききった頗る1本だ。これほどまでに傑作したロードムービーは、ヴェンダース作品ぶりである。私は今、この作品を真っ先に人に薦める〜

冒頭、ミラノ郊外。多くの移民たちが住んでいる貧しい団地。そこには母親、姉、弟の姿がある。見知らぬ中年男が家にやってくる。売春行為、若い憲兵との旅、故郷、シチリア、史跡観光、海辺、喘息の発作、密告、フランス人女性。今、大人の身勝手さに苦しむ子供が写し出される…本作は第一回イタリア映画祭で長編デビュー作の「心のいたみ」が日本で上映されたジャンニ・アメリオが、1992年に監督してカンヌ国際映画祭審査員グランプリ受賞作した傑作で、このたびVHSを購入して初鑑賞したが素晴らしい。これがいまだにソフト化されてないのに驚くばかりだ。本作は売春婦と言うレッテルを貼られた少女が生きる希望を求めてさまよう事柄を描き、彼らの表情、彼らの沈黙、凝縮された姿と沈黙を簡単に忘れることができないと絶賛された作品である。今思えば当時のイタリア映画がカンヌ国際映画祭で素晴らしいし受賞したのは89年に審査員特別賞受賞した「ニュー・シネマ・パラダイス」とグランプリ級の受賞となるのは82年の審査員特別グランプリを受賞した「サン・ロレンツォの夜」以来だろう。この作品はロードムービーであり、なぜその旅に出なくてはならない姉弟の事情をえぐり出し、そこに第三者の青年憲兵が入り込み、その大人とも言える彼の心の中に潜む、純粋さで子供たちと対話する必要があると思う考えが、この作品を通して非常に必要だなと感じた。

何が言いたいかはこの後のレビューを読んでくれればわかると思うが、要するに売春婦として売られた(母親に)姉のロゼッタと弟のルチャーノの姉への軽蔑を若い憲兵がぎくしゃくを取り除く旅に途中代わり、その2人の扱い方もひどく、憲兵アントニオの扱い方もひどいものがあり、イタリアと言う国の事情が挟み込み、非常にセンシティブな心温まる旅映画である。だが決してこの作品で解決する事は無い。そもそもこのアメリオ監督は、前作の「密告」では死刑制度を問題にしており、本作では貧困と差別を問題にしている。後のベネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞受賞した「いつか来た道」(名作なのにVHSのみ)では本作の姉弟とは変わり兄弟の翻弄される人生を描いていた。そして2000年代に入ると「家の鍵」では、障害者を扱っていた。どれもこれもネオリアリズムが提供していた社会に対しての目を向けている作品ばかりである。そしてこの作品は主人公の姉と弟を演じたのは実際の移民の子供たちで、ミラノに住んでいる子の中から選ばれたそうだ。彼らはずぶの素人であり、青年役のエンリコは演技を感じさせないと当時絶賛されていた。この作品個人的に良かったと思うのが、そういった真面目で好感の持てる子供たちが旅をしていたところだ。早速感想みたいなことを言ってしまったが、ここから物語を説明したいと思う。


さて、物語はミラノ郊外。多くの移民たちが住んでいる貧しい団地。食事の後片付けに忙しい母親が早く用意をしなさいと、11歳の娘ロゼッタを急かしている。10歳の弟ルチャーノは、そんな母を無言で見つめている。母は彼にアイスクリームを買っておいでと無理矢理金を渡し、家の外に追い出す。階段に座り込んだままのルチャーノの脇を、中年の男が通り過ぎていった。彼はルチャーノの出てきたらドアを開け、ロゼッタの部屋へ入っていく。母親はその後ろ姿を淋しげに見送る。けたたましいサイレンの音とともに、警官たちが家からロゼッタ、母、男を連行していく。ロゼッタは母に売春をさせられていたのである。母は逮捕され、ロゼッタとルチャーノは施設に送られることになった。ローマ近くのチヴィタヴェッキアの孤児院まで、若い憲兵アントニオともう1人の同僚が列車で護送していくのだ。

しかし2人は、福祉課の仕事なのに嫌な事は憲兵に回ってくると、この任務が面白くない。それでも同僚は子供は制服を怖がると、いかめしい制服を脱ぎ始めた。しかし、私服に着替えてなぜか香水まで降りかけた同僚は、友達だろう。明朝、孤児院に入れたら連絡をくれと、アントニオに子供たちを押し付けてボローニャの駅で降りてしまった。仕方なく1人で子供を送ることになったアントニオ。パンを買ってきて姉弟にやろうとするが、姉は嫌いとそっけなく、弟も無言のまま食べようとしない。アントニオは1人でパンをかじりながら、ジーンズの上下に着替える。ようやくチヴィタヴェッキアの駅に着いた。しかし、協会の経営する孤児院の院長は書類の手続きミスを指摘し、簡単に2人を受け入れようとはしない。アントニオは同僚に連絡して2人の故郷でもあるシチリアの施設に連れて行くべきだと訴える。

アントニオはひとまず2人を置いて帰ったものの、翌朝やはり戻ってくる。再び3人の旅が始まった。目的地はシチリア。とぼとぼと駅に向かって歩き始める。道端には放浪者がうつむいて座っている。ロゼッタは放浪者のお酒の瓶を口にくわえ飲んだ。どうやら放浪者が珍しいようだ。突然ルチャーノが苦しそうにうずくまった。驚いて走りよるアントニオ。ロゼッタが薬を渡してやる。彼は喘息の持病があったのだ。ゆっくり休んで眠らせなきゃだめと、ロゼッタは言う。それに対してアントニオは、冗談じゃない。こんなことってあるもんか。どうすればいい。と叫ぶ彼は、自分の手荷物を蹴飛ばす。そして荒れ始める。しかし時はすぎるだけでどうしようもないのだ。運良く近くにあった彼の同僚のアパートで、弟が寝ている。

同居している憲兵が帰ってくると、弟はサッカーのファンだと話す(彼の部屋にサッカー選手のポスターなどが飾られていたためである)ロゼッタは音楽の話(彼がレコード、ラジオで音楽を聴いていたからである)。その憲兵はこっちに来いよ、好きなテープを選べよと、部屋に入るように勧めるが、ロゼッタは警戒するようにドアを閉めていってしまう。同僚はアントニオに司令部に連絡しないと逮捕されるよと忠告する。続いて、駅の待ち合わせ室で、ロゼッタの姿が見えなくなった。アントニオはやっと女子トイレで彼女を見つけ、歯を磨くロゼッタを監視する。まっすぐな歯でしょう。前は曲がってたの。ママが矯正器を買ってくれたの。100万以上したのよ。今は皆が褒めるの。良い口元だって…と彼女は自慢する。イラついたアントニオは思わず言う。誰が言った?僕か?ママが君を大事に思っていたらこんなことには…。

彼の言葉に傷ついたロゼッタはトイレを足速に出ていく。追いかけるアントニオ。ほっといて。偉そうなこと言って。触らないで。ロゼッタは捕まえようとするアントニオの手を振り解く。着いたら施設の人に言ってやるわ。触ったって。殴ってよ。痕がつけば証拠になるわ。ロゼッタの反抗的な態度に、アントニオはあきれて、疲れ果てて座り込む。南へと向かう列車。客室の外の通路に座っているアントニオにロゼッタが話しかける。あんたには気の毒ね。無駄な旅よ。あの施設で断られたんだから、他でも断られるわ。どこも私を入れてくれない…。暗いロゼッタの顔をアントニオは思わず見上げる。客室に戻ったロゼッタは、寝ている弟の頭を膝の上に乗せてやる。アントニオの顔にかすかな笑みが浮かんだように見える。バスから降りたった3人がレストランへ入っていく。ここはアントニオの故郷。姉がこのレストランを経営しているのだ。

今日は少女の聖体拝受のパーティーのために貸し切られ、大忙し。突然の訪問に驚きながらも姉はアントニオを歓待する。アントニオは子供たちが上官の准尉の子で、シチリアの家に送り届ける途中だと嘘をつく。ロゼッタに風呂を使わせて屋上に出たアントニオ。そこにはルチャーノがいた。彼は未だに喋ろうとしない。アントニオはここに自分の家を建てたいこと、少年の頃、よくここの海に泳ぎに来たことを話す。泳げる?と聞くアントニオに、彼は小さく頷く。アントニオは庭にいる祖母に気づいて降りていった。お前ひどく痩せたよと心配しながら、アントニオを抱きしめる祖母。そんな2人をルチャーノは羨ましそうに見ている。記念撮影が済み、会食の席。ロゼッタはすっかり他の少女たちと打ち解け、楽しそうに髪を結んであげたり、手相を見てあげたりしている。

ルチャーノも、アントニオの祖母から彼の少年時代の写真を見せてもらい、そのあどけない姿に思わず笑みがこぼれる。アントニオの横にいた若い女が、ロゼッタをどこかで見たと言い出した。席を立ってロゼッタの所へ行った彼女は、事件の記事を思い出しママは刑務所でしょう?と言う。さっと顔を曇らせ、家から飛び出していくロゼッタ。女からロゼッタの顔が表紙になった雑誌を見せつけられたアントニオは、急いでロゼッタを追いかける。何を言われたんだ。あの家は僕の家だ。あの女は帰らせる。謝らせてやるとアントニオは言う。ロゼッタは彼の胸に顔を埋めて泣きじゃくる。やっと少女らしく、素直に感情を出せるようになった彼女。どこかへ連れてって。お願いと、尚も泣く彼女の髪を優しく撫でながらも、アントニオは当惑の表情を隠せない。車で走る3人。シチリアへと渡る船。

夜の甲板でルチャーノが初めてアントニオに口を聞いた。いつ着くの?着くときに着くさとアントニオ。あんたは姉貴の言いなりだ。姉貴は泣いて人をごまかすと弟は言う。アントニオはロゼッタは何もしていない。君たちに罪は無い。まだ子供だからと姉をかばい、父親のことを尋ねる。ルチャーノは自分が小さい頃に家を出ていた父のことを話し、15歳になったら会いに行って一緒に旅をするのだと言う。3人はホテルに泊まることにした。姉弟を同じ部屋に寝かせてアントニオは隣の部屋へ行く。夜も更けてベランダに出ると、ロゼッタがいた。彼女は捕まった男のことを話し始める。彼は母親の知人だった。もういい。あの男に二度と会う事は無いとアントニオ。母のことを心配しながら、ロゼッタは逃がしてくれるようにアントニオに頼む。翌朝、3人は浜辺で車を止めた。波打ち際を裸足で歩くロゼッタ。

ルチャーノは一晩中姉が泣いていたので自分も眠れなかったと言う。彼はアントニオに実は泳げないことを打ち明けた。早速2人で泳ぎの練習。そんな2人をロゼッタも楽しげに見ている。アントニオの祖母がくれた彼の少年時代の写真を見ながら、笑みを浮かべるロゼッタ。レストランでの楽しい食事。ルチャーノに笑話を聞かせてやるアントニオ。よく意味がわからないままに笑いこけるルチャーノ。ロゼッタは絵はがきを出すためにアントニオに住所を聞く。ちょうど居合わせたフランス人の若い女性観光客2人連れに、アントニオが父親なのかと尋ねられたルチャーノは、嬉しそうに頷く。彼女は若すぎると不審げた。ロゼッタはフランス人の髪を手に取りながら、美容師になりたいと話している。3人はフランス女性と一緒に史跡観光を楽しんでいる。

ルチャーノがどっちがいい?とアントニオに聞く。2人ともいいとアントニオ。住所を聞いたら?とお節介を焼く彼にアントニオは、2人は今夜パリに立つから聞いても仕方がないと答える。僕たちの住所は?とルチャーノ。知ってる。必ず会いに行く。もう僕は君たちの保護者だ。離さないよっとアントニオは言う。孤児院を出られるのが15歳頃と聞いて、15歳になったら会いに行くよとルチャーノ。アントニオはそんな彼がいとおしくて抱きしめてやる。その時、フランス人の写真を撮っていたロゼッタがカメラをひったくられる。必死に追いかけてナイフも恐れず犯人を捕まえるアントニオ。皆揃って警察署に行くことになった。廊下で待つロゼッタとルチャーノ。事情聴取を終えたフランス人の女性が1人に小声で話をしている。フランス語ながら売春と言う言葉にはっとするロゼッタ。

それに気づかないルチャーノはロゼッタにきっとアントニオは、子供たちを引き取りますって話しているんだよと語りかける。しかし、憲兵としての手柄を立てたはずのアントニオを待っていたのは職務の逸脱を詰る署長の言葉だった。彼は君は子供たちを誘拐したのだ。上司に報告すると言い放つ。アントニオは固い表情で車を運転し、施設へと向かう。警察で何があったかと2人に取り合おうともせず、夜道を黙々と走らせる。やがて近くまでやってくると、車を止めて朝を待って寝始めた。涙を浮かべるルチャーノ。ロゼッタも無理に寝ようとする。夜明け。広場の真ん中に止まっている車。1人目覚めたルチャーノはそっと車を出て歩き始めた。ロゼッタも気づいて後を追い、道端に座り込んだ弟に上着をかけ、施設にはサッカー場がある。お前はすぐ選手になれるわと励ましてやる。道端の向こうを見ながら、2人並んで座った後姿が小さく見える…とがっつり説明するとこんな感じで超絶級レベルの大傑作。今私はこの作品をまっさきに勧めている。この映画はもっと知るべき映画であり、VHSに残したままなどありえないことだ。


この映画は確実に鼓動打ち鳴らしている人間描写だけではなく、旅映画として人の痛みを描ききっており、主人公である子供たちの悲痛なまでの愛らしさがフレームいっぱいに映り込み彼らの表情、しぐさ、沈黙は簡単に忘れることができない。本作は人と街を力強く捉えており、感動的である。この偽りのない強い感情の本作がカンヌ映画祭で圧倒的な熱い評価を獲得したのは非常にわかる。この映画を今回初めて見て、88年のギリシャの監督アンゲロプロスの「霧の中の風景」(私の最も好きな作品の1つ)の幼い姉弟を思い出してしまった。あれは父親を求めて旅する映画だったが、この作品も同じであった。ただ違うところもある。それはこの作品には希望を抱いていない姉弟が淡々と写し出されているからだ。ロゼッタとルチャーノは、両親が離婚し心の居場所が不安定なまま旅に出る。そして母親によって9歳から売春を強いられてきたお姉ちゃんと弟は決して仲がいいわけではない。「霧の中の風景」とはこの点でも違うと言えるだろう。

この2人は互いに文句を言い、反発し合う。そこに仲介役として青年が割り込んでくる。そして青年と弟のシークエンスになると、弟は姉貴の悪口を言う。そして青年と姉貴のシーンになると弟の悪口を言う。そういった陰口があるのだ。そして弟のルチャーノは、幼い時から全て理解しているかのように、母親に愛されず、姉を愛することもできない不安定な感受性で旅に出ている。彼はすでに父親に会える気がしていないかのように、1人で成長していかなくてはならないかと思い詰めている眼差しと沈黙が観客にそう感じさせてしまう。「霧の中の風景」にもバイク乗りの青年が登場する。この作品の憲兵アントニオの立場は、非常にキーパーソンであり、純粋無垢な若者が時折イライラを見せつつ、子供らしさをほとんど味わえない姉弟を見守り手助けしていく。その3人のやりとりが非常に面白く、長い旅をする羽目になる若者の成長も描いている。

この作品を見るとわかるが、この姉弟はほとんど子供らしい遊びなどをしていない。唯一、彼の親戚のパーティーでの来客の少女と楽しく会話するお姉ちゃんの姿、海で泳ぎを習う弟の姿、ローマの街並みを散策する姿、途中でカメラが奪われてしまい、それを必死に追いかけるアントニオのたくましさ、それ以外にこの2人が子供らしいことをしているのはほとんどない。だが、食事にしろ仕草にしろそれは子供なのである。ほとんど無口(この場合沈黙と言うべきか)の弟は、海でポテトチップス(的なお菓子)を食べたり、いかにも子供らしい駄菓子を食べて観客に少しばかり安心させてくれる。少しマセガキで、大人びていて鼻につくところもあるが、彼も正真正銘の子供なのである。しかもルチャーノは賭博に興味を持つし、ロゼッタは爪にマニキュアをしたり、大人びた行動を取り始める。

そのたんびにアントニオが叱ったり説明をする。2人の旅に青年の物語も入り込み、やること成すことが裏目に出て苦労する青年のクライマックスでのあのシーンを見ると何とも言えない気持ちになるし、途端に放浪者になったかのような姉弟が道路際に2人きりで小さな肩を並べて座るラスト・ショットは余韻の賜物である。本作を見ながらイタリア映画がサイレント中期から傑作を世に出していたことを思い出し、戦後のネオレアリズムの時代が最も有名であるが、そういった様々なナチスドイツ軍が入り込んで戦争を続けた、いわばイタリアの戦争映画を経験して、徐々に人間の内面的な問題に取り組むようになってきたイタリア全体の作品が、時代とともに変質した事は言うまでもないが、あのものすごく暗い時代だった(ロッセリーニやデ・シーカなどの作品)を経て、アントニオーニやヴィスコンティ、フェリーニ等の世界が認める巨匠が新たに後継者としてネオレアリズムを描き出し、そこから徐々に物語に明るさを見出し、家族ドラマを多く描くようになったイタリア映画の90年代の作品では、やはり本作のように、子供たちの姿=国の国情を反映するように作り上げてきている作品が多く見受けられる。

例えば「自転車泥棒」だって、その国の情勢をバックグラウンドを通して見れる。そもそもいつの時代もどこの国でも子供をテーマにした作品には必ず国の情勢が入り込む場合が多い。日本では大島渚の「少年」同じくイタリア映画ならオルミの「木靴の樹」パゾリーニ「アッカトーネ」フランスならブレッソンなら「少女ムシェット」ロシアならボドロフの「自由はパラダイス」(VHSのみ)カネフスキーの「死ね、動くな、甦れ」スウェーデンならアウグストの「ペレ」「子供の城」(VHSのみ)スイスならコラーの「ジャーニー・オブ・ホープ」(VHSのみ)ポーランドなら「コルチャック先生」イラン映画ならほぼほとんどがそうであろうし、中国なら張芸謀の「あの子を探して」インドなら「大地のうた」など挙げたらキリがないほどである。そしてこの「小さな旅人」は、大人社会の犠牲者であることを強調している。そもそもプロットが弟よりかは一歳分歳はいっているが、私からすればまだ全然幼い少女に性を売ることを強要する鬼畜な母親がいると言うことに驚きを隠せない。鬼畜と言えば昔、日本映画で確か松本清張原作だったかな?で緒形拳主演の「鬼畜」と言う作品を見たが、まさしくそれも惨たらしい(親が鬼のようだ)映画だった。

風土的な気質やイタリア人ならではの感覚が垣間見れ、残念ながら幼い姉弟は若い憲兵に孤児院に連れていかれる姿もあるが、私からすれば、この孤児院に入れようとする(憲兵アントニオが悪いと言いたいのでは無い)解決方法しかないというのがどうしても許せない。なんとも身勝手な大人社会に阻害され、子供時代を剥奪された姉弟の人生が可哀想で仕方がなかった。それに青年も1種の犠牲者である。ただこの作品で唯一救いと言うのならば、ゆっくりとだが、彼ら3人が変わっていく姿、心が少しずつほぐれていくような演出が少なからず安堵できた。特に北イタリアミラノから南イタリアのシチリアまでのイタリア半島横断する旅の風景は美しく、人情味溢れ、環境の変化に伴ってほとんど年齢が1歳さの姉弟を施設に送る若い憲兵の心の拠り所、そして同情が自分の職務を超えた愛情に変化するまでを描いていてロードムービーと言う枠を超えた家族ドラマだと私は思う。よく疑似家族と言う言葉があるが、そもそもこの2人の本来の親こそが擬似の部分であり、青年と2人の姉弟が本当の家族のように見えてしまった。

もちろんこのような少女虐待映画、特に女性差別を訴えかけているような作風のため、イタリヤ人からすればこの作品を好まない人も多くいるとは思う。そうしたイタリア経済の二重構造の根底をなす南北問題はこの作品1つとってもわかるし、ネオリアリズムに共通する貧しさの社会派が描かれてるのも、監督のアメリオは幼児虐待はそういった問題から行われる場合があると主張しているように、この作品は、売春と言うレッテルを貼られた少女に対しての賛歌(意味合いとしてはそういったレッテルを破り、あなたらしく生きるべきと言うことで)映画にも感じる。それはクライマックスの姉弟の背中を見るとますます思ってしまうのだ。あの2人はこの後どこへ行くのか、何を成し遂げるのか、何を手にするのか…気になって気になって仕方がない。半ばイタリアの貧しい姉弟を追ったドキュメンタリーを見たかのようでもある。

それこそこの作品は、あえて惨たらしい少女が売春婦として働いているのを映していない。これはすべて物語(話である)で強調しているが、想像してみて欲しい。少女が母親から強制される大人の男とのセックスをやらされ、もちろん拒否もできなく、少女は9歳で、判断力もなく、体も小さく抵抗もできないままにレイプされていってしまうのだ。しかもそれの謀介者が母親であるのだ。なんとも信じがたいプロットである。処女売春と言うのはどの国にもあるが、この姉弟の暮らす家庭はもう一つ問題があり、それは貧困であることである。しかも特定個人を相手にする場合は売春ではなくても、いろんな男にやられたらそれはれっきとした強姦(レイプ)なのだ。画面に出てこないこれらの描写は、沈黙する弟と表層的な姉の静かな葛藤の中にあり、姉弟は同じ境遇にいるようでいて実は正反対であり、愛憎も写し出されるのだ。あまり言うと物語のネタバレになってしまうためあまり言えないが、弟と姉にはなんとも切っても切れない過去がある。

だから俺最初この映画を見たときに、中盤あたりで弟が呼吸困難になり、道端に倒れるのを青年が助けに行く場面で、姉は遠くに立ったまま。しかしあまりにも苦しそうなので、姉がリュックサックに入れていた喘息を抑える薬(呼吸器的な)を渡して青年に説明する。いわばこの時点で、青年は伝言係のような扱いで姉弟2人はほとんど旅の間言葉をかわさないのだ。そこには売春婦と告発者としての対立があるのだ。ここで売春婦と告発者?何を言っているんだと思うかもしれないが、この関係性を言ってしまうと大いに物語が楽しめなくなるため、ここでは言及しないが映画を見ればおのずとわかっていく。そもそも日本も奇跡的に高度経済成長を成し遂げた時代があるが、第二次世界大戦後の50年代から60年代にかけて、イタリアは奇跡の経済と言われる高度成長成し遂げた。南イタリアの貧しい農民250万人が北イタリアの都市に流れ込むが、64年を境に経済は下降線を描き、都市周辺に下層社会を作った。本作の母子家庭もこうした下層社会の住人である事は歴史からも読み解けるだろう。

近年、ますます女性蔑視、なんでもかんでも差別と言う、差別(ヘイトクライムも)と言う言葉を便利に使う人々がいるが、この作品に出てくる少女にこそ差別という言葉がふさわしいほどに人身売買に始まり、セクシャルハラスメント、強姦、少女売春、人身売買など全てにおいての悪が存在している。まさにこの映画のロゼッタに対して差別と言う言葉は本来使われるべきだと私個人は思う。少しばかり突っ込みたいところもあるのだが、この作品、なぜ母親は自分で売春婦として働かなかったのだろうか、買い手がいなかったのか、なぜ娘にやらせてしまったのだろうか、そこがあまり描かれていないが、娘がそれらを行ってしまったことにより、どこへ行っても差別されてしまうのだ。これが今も終わらない隣国同士の従軍慰安婦へとつながる部分もあって、そういった恥さらしなことを韓国では差別されていくそうだ。といっても他の国でもそうかもしれないが、慰安婦の女性たちは汚らわしいと差別されているそうだ。といってもこの問題には多くの疑問点や嘘偽り、歴史的な検証からしても辻褄が合わない部分が多くあるため何とも言えないが…。

本作は子供たちの純粋さを取り戻す映画でもあり、冒頭の件からパトカーのサイレンが鳴り響き、母親から小銭を渡されて家から追い出される少年が映り込み、中年男が姉の部屋に入っていく一部始終を見る弟の姿だったり、ミラノ郊外の暗い団地のー室から始まるシーンはなんとも衝撃的であった。人間にとって普遍的な極めて重要なテーマがこの作品にはある。それにしてもこの作品皮肉なことに、大家族を持つ故郷に戻った際に、初聖体拝領の祝い事をしているところにロゼッタなどが来てしまったり、そこにいたひどい母親が彼女に失礼な雑誌を見せたり、必死にそれをかばおうとする青年の心に惹かれるロゼッタが映ったり、とにもかくにも大人があまりにもひどく映り込む。しかしながら海辺の美しい風景、波際での食事をするときに、ルチャーノが白いタンクトップを着て、アクセサリーを首からぶら下げて思う存分笑顔になるショットなんかは美しく、赤ワインを水で薄めてひと口飲むロゼッタの好奇心あふれる姿、そういった食卓を囲む3人の描写はまさしくイタリアが誇る家族の姿だったんだろうなと思う。

そして15歳になったら会いに行くねと約束する弟の姿勢、もはや彼にとっての父親はアントニオであり、アントニオにも父性が芽生えただろう。ここから印象的に残った場面を話したいと思う。ずっと観たかったカンヌグランプリの作品がようやくVHSを購入して鑑賞できたけど凄い良かった。改めてソフト化されてないのが謎であるが、残念ながらパッケージの裏を読むと、製造、発売元が株式会社ヘラルド・エースで、提供がフジテレビジョンだからかなり難しい。販売元はポニーキャニオンになっているけど、権利がどこにあるのか全く不明だ。本作は冒頭から魅了される。まず少年(弟)がテレビを見ているのを真っ正面から徐々にスライドしてクローズアップするファースト・ショットで始まる。そこに母親が入り込み、何だかこじらせている感が出てくる。少年がベッドの中にいるスキンヘッドの少女を見て、君は男の子なの女の子なのと問いかける場面は印象的。てかこの弟なんだか小さい割には色気があって、すごくハンサムで無口で、どこかしらセクシーで(小泉進次郎じゃないよ)非常に良い雰囲気を出す。正直、主人公は多分お姉ちゃんなんだろうけど、弟の存在感がやっぱりこの映画を水準に満たしていると思う。だから海外ポスターなどは弟が全面アップなんだろうなと思った。確か日本のプレスシートとかも弟のクローズアップだったと思う。俺が購入(廃盤でめちゃくちゃ高かった) VHSのジャケットは少女のクローズアップだったけど。

喘息の発作で道端に倒れてしまうところで、初めて同行している青年に弟が病気だと言うことを知らされて(お姉ちゃんに)、どこかで泊まって眠らないと治らないと言われて、思い通りに予定が進まないのに頭にくる場面とかも印象的だが、確かにそうだなと思う。そもそもいきなり頼み込まれて2人を目的地まで運ばなきゃいけなくなった青年の気持ちも非常にわかる。途中で車に乗って海岸沿いに行って、海の中に入るシーンがあるんだけど、そこで無口だった弟が徐々に声を出し始め、青年に泳ぎを習う場面はなんともほっこりとして良かった。父親も母親も不在の全く見知らぬ他人の青年に親事をやってもらって笑顔になっているのを見ているとなんだか切なくもなるが、それを遠くから眺めているお姉ちゃんの姿も凛々しいし、笑顔も可愛らしい。あのクライマックスの姉弟の後ろ姿がなんとも余韻を残す。あそこまで社会と弟と二重の差別から解放されてこなかったロゼッタが、最後の最後に姉弟は交流再開のきっかけを見つけ、姉と弟の和解の旅の始まりなんだろうなと思った。

それにしてもこの作品のロードムービー感はすごかった。ミラノからボローニャ、チヴィタヴェッキア、ローマ、ナポリ、カラブーリアを経て、シチリア島のノトへと南下の旅をするのだが、それぞれの風光明媚な観光スポット、出発のミラノ中央駅でムッソリーニが作ったと言う壮大な駅トワイライトの中の圧倒的な描写、列車の中、非人間的で無機質な感覚、無表情だった弟の笑顔、無視され続けてきたアントニオの我慢強さ、ロゼッタとアントニオのいざこざ、反発しあって、女子トイレでの男と女を意識する場面、聖ピエトの教会の前で象徴的な出来事、青年の友人の家での激しい口論からの、ロゼッタによる青年への脅し、弟が膝枕され頭を撫でられる列車の中、初めて心を開き始める場面、イタリア特有の大家族、まだ歴史を全然知らないルチャーノが、アントニオの祖母に彼の少年時代の写真を見せられ、共鳴する場面、船の上で初めてルチャーノが青年に話をかける場面、お前しゃべれるのかと言うセリフが印象的だ。

夜の海の風景、非日常的な空間、少年の心をほぐし始めていくシーン、アントニオの教育論(賭博カードを否定した場面など)、海でスイミングを習う弟の姿、レストランで笑う彼ら、ノトの遺跡の前で、アントニオとルチャーノがカードゲームで遊ぶ場面を見る、2時間もないこの作品に多くのものが詰め込まれているなと思った。ちなみにこの映画淡々と進むため、どの観光スポットで何が起こっているかあまり分かりづらいと思うから端的に説明すると、まずミラノ郊外は姉弟が住んでいた街であり、ボローニャはアントニオと同行していた憲兵が彼に職務を押し付けて降りる場面で、チヴィタヴェッキアは、子供たちが断られた孤児院がある場所で、ローマは言うまでもなく聖ピエトがある場所で、ナポリはルチャーノが喘息の発作でアントニオの友人宅で休む場所で、カラブーリアはアントニオの故郷でありシチリア島のノトはアントニオがひったくりを捕まえた場所である。

少なくてもこの映画は大人たちが見るべきであり、子供に対して何が可能なのかを改めて見直さなければならない。このドラマは救済であり、子供を愛したくなるような作品であった。現代日本の子供たちがこの作品のような人生を歩むのは少ないとは思う。ただ世界を見渡せば、今でもこのような人身売買的な人間の尊重、人権を剥奪するような国も多くある。特に日本の周りはそうでは無いだろうか。そういった中物質的な豊かさがある日本は少なからず住みやすい国なんだろうなと思った。長々とレビューしたが、この作品はぜひとも見て欲しい本である。素晴らしかった。最後に余談だが青年アントニオを演じたエンリコ・ロ・ヴェルソは今回が初主演作品だったそうだ。
売春で捕まる家族と客という衝撃的な導入で始まるイタリアのロードムービー。

台詞を理解できないと少し筋がわかりにくいところも多かったが、姉弟と青年の交流模様とかには絵面だけで胸打たれる力があったのでその点だけでも良い映画と言える。

あと基本的には映像にそこまで作家性を感じるタイプではないので手堅さを覚える描写の数々だったものの、そう高を括っているとカメラワーク凝っていたり妙に美しい場面に遭遇するので、その意味でも侮れず見入ってしまった。

というか上記の要素って結構後の是枝裕和作品にも言えることのように思えるけど、是枝作品がネオレアリズモからの影響が強いことを考えるとこの作品もネオレアリズモの90年代版と呼べるのかもしれない。
20世紀の終わり頃、梅雨どきのひどい雨の中、大学への通学用の定期券を使い電車に乗って、滋賀から京都を抜けて大阪の十三に向かい、歓楽街の合間にひっそりと息づくように存在していた第七藝術劇場で、霧の中の風景との二本立ての一本目として鑑賞しました。

平日の日中、少なめの観客の中で見上げるスクリーンに映る眩しいイタリアの夏の海、若くて人のよい警察官の不器用な誠実さを感じさせる横顔、売春をさせられスレたところがあるものの子どもらしい純粋さをも残した少女たち、そして型にはまり融通の利かない社会そのままのような大人たち、彼らの心の動きと、無情な展開はややありがちではあったけれど、若い役者の表情と終盤の夜の暗さは今も胸に焼きついていて、心に残る作品でした。

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3.8

あらすじ

高知市。四人家族の姿がある。父は傷痍軍人、母は後妻、弟のチビ、少年の家族の“仕事”は走っている車にわざと当たり、示談金を得る当たり屋だった。家族は“仕事”を続けながら北九州から北海道へ旅を…

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存在のない子供たち

上映日:

2019年07月20日

製作国:

上映時間:

125分

ジャンル:

配給:

  • キノフィルムズ
4.2

あらすじ

わずか12歳で、裁判を起こしたゼイン。訴えた相手は、自分の両親だ。裁判長から、「何の罪で?」と聞かれた ゼインは、まっすぐ前を見つめて「僕を産んだ罪」と答えた。中東の貧民窟に生まれたゼイン…

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