ROY

地下街の住人のROYのレビュー・感想・評価

地下街の住人(1960年製作の映画)
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ビート族の代表的作家ジャック・ケルアックの同名小説の映画化

音楽はアンドレ・プレビン(指揮とp)が担当している。脇を固めるアーティストたちは「■Soloists」に書いてあります。彼らは出演も果たしている。

■STORY
サンフランシスコ、ノース・ビーチ地区にビートニックのグループが住んでいる。地下室や暗いアパートが根城であるところから”地下の住人たち”と言われる。若い作家レオ・パーセピード(ジョージ・ペパード)は、夜の街頭で突然この若い陽気なグループと仲間になった。古めかしい文句を云う母親と暮らすのはもう嫌だった。レオは間もなく仲間の少女マードゥ(レスリー・キャロン)に心を惹かれた。2人は愛し合い、未来の生活を夢見たが悲惨な過去をもつ彼女は独占的な愛情でレオを悩ませた。言い争う日が続いた。レオが画家でバレリーナのロクサーン「ジャニス・ルール」に会ったのはこんな時だった。放心したように踊り狂うその姿にレオは魅入られたように進み出た。我に帰った彼女は自分と踊っているレオの姿を見ると、狂気のように飛び出した。素顔は若く美しかった。2人は一夜を過ごした。マードゥのもとに帰ったレオは、マードゥの日頃の非を責めた。裏切られたと絶望して飛び出したマードゥを、町の伝道師ホスキンズが暖かく迎えた。翌朝、レオが目覚めるとマードゥはいなかった。仲間のユリから昨夜の自分たちの激しいやりとりを聞いたレオは後悔した。マードゥは戻らなかった。レオに会ってからロクサーンは立ち直った。ボヘミアンの世界と別れて、世間のまともな生活に入った。マードゥが舞い戻った。再び言い争う2人に、ユリは忠告すると、仲間たちと街頭へ流れ出た。レオはマードゥが新しい生命を宿したことを知り、彼女との真の生活に入ろうと決心した。(「Movie Walker」より抜粋)

■NOTES
以下は、ウェブサイト『映画の國』より興味深い部分を抜粋したものである。

◯本作は伝説的映画プロデューサー、アーサー・フリードの最後の企画の一本であり、カウンターカルチャーの実態を大勢の人達に供するための映画を作る、というハリウッドの最も不評に終わった試みの一本でもある。

◯ フリードの遺産と呼ぶに相応しく、『地下街の住人』は--ミュージカル映画ではないのだが--音楽映画を志向するもので、ビート・ジェネレーションの動きの中核であったジャズ美学を摑まえようと模索されていた。率いるのはMGMの天才作曲家/指揮者ピアニストのアンドレ・プレヴィンであり、この映画はウェスト・コースト派ジャズメンのオールスターを勢揃いさせた点で歴史的価値を持つものだ。

◯原作小説は1953年の10月(ベンゼドリン漬けの72時間の最中において)書かれたが、出版されたのは1958年だった。多くのケルーアックの小説同様、これは「意識の流れ」を記述する文体で構成されており、半自伝的である。1953年8月に著者と人種混交女性(チェロキー先住民と黒人とのハーフだった恋人は映画化に当たり白人フランス人に改変された)との間に起きた恋愛沙汰をつづったもので、ニューヨークのボヘミアン芸術家、慣習に囚われない「はみ出し人」達を背景にしている。ただし小説化に際し、舞台をサンフランシスコに変えてある。ケルーアックは第二次大戦後、物書きとなり、アレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズ、ルシアン・カー、ニール・キャサディーなど、作家で友人でもある人々と共に「ビート」の運動を創始した。実のところ、この言葉を創り出したのが彼である。

あとは各自でご覧くださいm(_ _)m

(上島春彦「映画の中のジャズ、ジャズの中の映画/第33回アンドレ・プレヴィンのジャズ体験その8/西海岸派ジャズマンとしての勲章」『映画の國』http://www.eiganokuni.com/kamishima/25-2.html)

■SOLOISTS
MGMスタジオ管弦楽団
◯ジェリー・マリガン(bs)
◯カーメン・マクレー(歌)
◯シェリー・マン(dm)
◯デイヴ・ベイリー(dm)
◯レッド・ミッチェル(b)
◯バディー・クラーク(b)
◯アート・ペッパー(as)
◯ラス・フリーマン(p)
◯ビル・パーキンス(s)
◯ボブ・エネヴォルドセン(tb)
◯ジャック・シェルドン(tp)
◯アート・ファーマー(tp)

■THOUGHTS
初めて1人目にクリップできた。

「Internet Archive」と「Dailymotion」を駆使して見ました。

サントラが良すぎて内容が入ってこない時がある。最後は映画っぽいオーケストレーションで終わった。
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