井出

マイ・マザーの井出のネタバレレビュー・内容・結末

マイ・マザー(2009年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

詩や文学が好きなのがよく分かる。自分の好きな本はたくさん引用する。でもこの映画で重要なセリフは引用でもなく、詩的な表現ではない。魂から出た率直な叫びである。今日僕が死んだら?明日私も死ぬわ。
親との葛藤は誰にでもあるだろう。わたしはロランスでもそうだが、ドレスを着て逃げていくように、母親はその前に女である。(逃げながら差し出す手に強く当たりすぎて離れてくというすれ違い。これはすごかったな。)ケンカして離れてもすぐに一緒になる。切っても切り離せない関係。結局は同族嫌悪なんだね。
カメラ位置は基本高い。監督や主人公の人に対する高慢な態度を象徴しているようだった。自分をも見下している。自分の非を素直に認めることはないが、そんなカメラアングルから見てとることができる。そして、真正面から撮ることも多い。左右対称を意識していると同時に、ものごとを真正面から見ようとする姿勢か?人に厳しい分、自分にも厳しい、ストイックなのは確か。そのうち自殺するんじゃないかな笑
子供のときは自然と上を見るけどね。アップのときはかなり重要なシーンなのだろう。
カメラにしろ役にしろ、視線は重要である。視覚は重要で、特に服へのこだわりは出つつある。音もそれなりにあって、音は調和であり、無音は緊張、事態への直面であり、ケンカの叫びは張り詰めた空気を切り裂く。鼻歌で調和を演出しようとするところは、音への考え方が現れている。
家に対する観念も見える。離れたければ家を変えればいい。家出すればいい。新しい生活が欲しければ引っ越せばいい。ずっと同じ場所にいることができないし、きっと裕福に育ったんだろう。絵やソファ、間接照明などの家具、飾りはファッションと同様、その人のアイデンティティを表している。車という空間は嫌でも二人だけで、近くにいる、密室な空間である。面と向かわなければいけない場所。ドランの映画ではキーになる場面である。
わたしはロランスでもそうだが、超自我と、エスとの葛藤が彼の人生のテーマになっていることはよく分かる。それが芸術と関わる。
彼にとって秋が大事な季節だということがわかる。カナダの秋のシーンはとてもきれい。単に好きなのか、思い出の秋なのか。
なぜ食卓を使わないのか?
食べる口元にイライラ、さっきその件で妹と母親がケンカしてた笑
同性愛者が芸術家なのは、フーコーで説明。
結局、金あって、時間あって、余計に悩んだ厨二病だ笑、悲劇のヒーローが彼のアイデンティティ、おしゃれで頭がいいというアイデンティティ、アイデンティティコンプレックスだよ。ロランスが、お母さんの紫のコートをきているのはよかったね。紫は母の色なのかな。基本、服は青で無難。最後母はピンク。
若者の同性愛に対する、儀礼的無関心。冷たいが狭い世界には大事な儀式なんだな。
膝があたって離れなかったらゲイっていう確認方法聞いたことある。
わたしはロランス同様、シャワーはカタルシスかな。
同性愛はスペシャル。

多様な親子
使わない食卓を写すのはなぜ?生活感のなさの表現?
こどもは社会が生ませた
草原
認めたり反対したりする勇気もない
赤い壁
見捨てる、理解がない
内側から割れる?
井出

井出