シネマノ

楽日のシネマノのレビュー・感想・評価

楽日(2003年製作の映画)
3.9
『全編に極上のノスタルジア、でもこれを過去の亡霊にしたくはない』

実際に閉館する映画館を貸し切って撮られたという本作。
ツァイ・ミンリャン監督の作品を観るのはこれが初めてだが、なんとノスタルジックな作品なのだろう。

セリフはほぼない。
ストーリーもないに等しい。
ただ、そこにはそれぞれの人間のドラマがある。
当然、人は誰かと会っているとき、何かを話しているときだけに生きているわけではない。
独りでいるとき
物思いにふけるとき
誰かを想っているとき
言葉が生まれる前に、心のなかで膨大な意識の流れに任せて生きている。
そして、やっと人は動き、言葉を紡ぐ。
本作にはその言葉になる前の「生」が焼き付けられていた。

かつては栄えたであろう、映画館。
それは今や来る人もまばらな、寂れた建物になっていた。
誰かは恋のためにデートで使ったかもしれない。
誰かは片想い破れて、気持ちを紛らわせるために来たかもしれない。
誰かは好きな役者が出ている作品を楽しみに来たかもしれない。
誰かは映画に夢見て何度も通ったかもしれない。
多くの人たちが幾通りもの想いを抱いて栄えた映画館。
今や映し出されるのは、そんな想いの残滓が染み付いたような場所ばかり。

ツァイ・ミンリャン監督はそんな映画館をゆっくりと、その想いをすくうかのように撮る。
まるで迷宮のような映画館に集った人たちもまた、言葉にする前の何かに囚われたかのようだ。
人は想いの操り人形。
自分の想いだけでなく、そこにある想いによって意思決定をして、動き出す。
攻殻機動隊のアニメシリーズにも「映画監督の夢」というエピソードがあったが、人が忘れたい・忘れられないノスタルジーに共通したものがあった。
ゴーストは確かに存在するのだろう。

コロナで映画館から客足が遠のき、いくつもの劇場がなくなってしまいそうな今。
本作はなにか改めて迫ってくるものがあった。
映画館という、想いの集まる場所。
誰かのゴーストが取り憑く(残される)ところ。
本作が観るものにくれる素晴らしいノスタルジーをもって、自分はまた想いを抱きながら映画館に通いたい。
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