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フリーク・オルランドのmayのネタバレレビュー・内容・結末

フリーク・オルランド(1981年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

荒野に現れる異形の女と簡易的なネオンの門。ここが境界になっていて、オルランドは、フリークシティの世界に導かれる。その名の通り変な街。現実と幻想(神話)が混じり合ったような異質な街。

フリークシティには、大きなデパートがあって、女神が働いている。「神話クリアランスセール」と書かれていて、女神はまるで見世物のようになっている。

そのあとは、さらにフリークシティの奥に誘われて、神話から現代までの5つの世界へ。

両性具有(男と女)、ひとつの身体を共有するふたりの人間など、ふたつのあいだを揺れ動くようなものたち。
そして、小人たち、神話や物語の世界の登場人物たちなど、二項対立に還元できないものたち。
まさに混沌の世界が広がっている。

帰り道はそそくさと、フリークシティはもうたくさんだ、というように、ネオンの門をくぐって、異形の女もスルーして、走り去っていく。

フリークシティは、人間たちが古代から現在まで、積み重ねてきた創造力が際限なく拡大して創造された世界なのではないかなと思ったりする。人間の手から離れて、創造力だけが肥大した混沌とした世界。

オルランドは、人間が自ら作りだしたはずの、その莫大な創造力に、その混沌に、飲み込まれないように、どこまでも続きそうな何もない荒野のなかをどこまでも逃避していく。彼は果たして創造力、混沌というものから、逃れることができるのだろうか、

わたしは「何もない荒野」ですら、創造された世界なのではないかな、と思ったりもする。だって、フリークシティに比べて、「何もない」「荒野」はそこに明らかな作為を感じるから。
オルランドには気の毒だけれど、そういう解釈にて綴じさせていただきましょう。
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