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Destroy Vicious デストロイ・ヴィシャスのkuuのレビュー・感想・評価

2.5
『Destroy Vicious デストロイ・ヴィシャス』
製作年 2010年。上映時間120分。

架空の街ネオオオサカシティーを舞台に、ヤクザとパンクロッカーの女がたどる破滅的な愛を描いた人間ドラマ。
まぁ監督の寝てみる夢と望みの夢を映像化した作品かな。
知りませんし見てまへんが『電撃BOPのセクシーマザーファッカーズに!!』の島田角栄監督がメガホンをとっとります。

勘違いから敵対するヤクザの組員を10人も殺害してしまった新見は、逃亡中に聾唖のパンクロッカー、マリアと出会う。
不器用にしか生きることのできない2人は次第にひかれあっていくが、新見の命を狙う刺客が次々と現われ。。。

今作品は、タイトルからして、悪意のある、意地の悪い、危険な、物騒などと訳されるヴィシャスとsid vicious(セックス・ピストルズのベーシスト)を意識してるやろし、既成概念の否定や反権力といった姿勢を特徴とする点や、優先されるのは技術や知識や機材ではなく”気持ち”である点においては、パンクロック的な映画とは云える。
せやけど、ただ一点、この描かれてるモンてか、姿勢が世界中の若者に影響を与え、様々なサブジャンルを生んでいくかと問われたら(パンクロックに要素に不可欠)、ないやろ。
古い。
1960年から1970年にかけて製作されたならいざ知らず、製作年は2010年。
懐古趣味に作ったとしか思えないかな。
(ネトアナキスト、ネオアナキストモドキには震えるかもしれんが)
今さら日本赤軍の重信房子元最高幹部が20年の刑期を終えて出所し『見ず知らずの人たちに被害を与えたことをおわびします』
などと述べようが、今の時代のムーブメントには何ら影響力はないのと同様に。
(ネトウヨ、ネトサヨには震撼宣かも知れへんが、日本国民総ノンポリには『何?』状態)
また、シュルレアリスム(超現実主義)的な何かを目指してるんやろけど、ダダの破壊精神を受け継ぎながら、夢や無意識の世界にも踏み込んでる点ではシュルレアリスムとも取れる。
また、合理的、科学的なものに縛られない世界、理性や意識にコントロールされていては到達できない無意識の世界に、解放された精神を見出そうとした点でも、周到はしてるかと思う。 
しかし、自動記述という表現方法を突き抜けずショーもないプロットを持ってしまって引き摺られてる。
それに何分、土臭く古い。
『アンダルシアの犬』なんかあの時代やったからこそ斬新でスタイリッシュやった。
(いまでも衝撃的な作品はかわりないが)
まぁ作中、内田春菊のヌーディーシーンー見せられる位い古臭い(実際作中に見たくないが流れてる、2010年なら明日花キララなら萌えるが)。
でもまぁ最後まで見た。
感想を例えるなら、先日、富山県富岩運河環水公園のスタバに行った折、散歩しててタマタマ素人のアングラ表現者たちの集いに出くわした。
そこに縄師(元AV女優兼、監督、そして、緊縛師をしてると云われてる方が衣服の上から被写体を縛る表現アーティスト)がいてステージの出番待ちをしてたし、話しかけて、小生の何でも経験したいアホ欲求が動き、縄師に、小生の手首を後頭部付近で試縛してもらった。
途中は苦笑いしたが、真・聖Sの心が叫びだしイラっときた。
最後は怒りすら越えバカ笑いするしかなかった。
『嗚呼、超・真正の嗜虐症なんやなぁ俺は、縛られるのは気質には合わない』
と思た。
そないなように今作品は合わないと感じたかな。
余計にわからん説明になっちゃいましたが🙇‍♂️。
まぁ兎に角、個人的には二度は観ることはない作品かな。
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