おそば屋さんのカツカレー丼

ドラキュラのおそば屋さんのカツカレー丼のレビュー・感想・評価

ドラキュラ(1992年製作の映画)
5.0
さすがコッポラ、演者も脚本も世界観も演出も文句ない。思わず唸ってしまう秀作。

本作を観ていて思い出したのは、私が採血をした時の経験。
健康診断等で血を抜かれることがあると思うが、私はその時の感覚がどうしようもなく好きなのだ。少し意識が遠のいていくような、忘我の感覚とでも言うようなもの。更に血液というのは生命のスープであり、それを抜かれるというのは自分の生命を抜かれることと同義である。ということは、血が抜かれることは私にとって生命×自我の剥奪ということになる。これはある意味自己の危機であって、そんなものに快を覚えるはずはないと思うかもしれないが、精神分析的に言えばあらゆる快は不快(および自己破壊)の転化によって生じるわけだからこれは決しておかしなことではない。
私は本作を観ていてこの感覚を思い出したのだ。一種の快感。勃起するような高まりではなくて、脳の神経一本一本が火花を散らしながら焼き切れていくような高まり。自分が自分じゃなくなっていく。
作中でウィノナ・ライダー演じるミナが伯爵と出会うことで彼女の中に生まれたものと私の中に想起された感覚はそう遠くないものなのではないか。貧しい家庭で貞淑を教え込まれ、更に婚約相手のキアヌ・リーヴス演じるハーカーからもそれを求められる。そしてそのミナ自身の血液にまで染み込んだ道徳を剥奪する存在がドラクル伯爵/ドラキュラなのであって、ミナはそれにより自己破壊を経験し(しかしエリザベータがそうであったように自殺は神への背信であり、罪なのだった)、堕天する。そして転生を果たす。
これは自己破壊と堕天の物語。しかし、そこからしか転生はもたらされないのだ。