井出

アリスの井出のネタバレレビュー・内容・結末

アリス(1988年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

ヤンシュバンクマイエルお得意の、欲望への拒絶。食欲、性欲、睡眠欲でも何でも全て。私たちの価値観は否定され、改めて、そのものがもつ意味を噛みしめることができる、強く意識することができる。
秩序や有機的連帯に対しても、否定から入る。部屋の外に広い世界が広がっているように聞こえるのに、ドアを開けると狭い部屋だったりする。空間に対する感覚も捻じ曲げてくる。原作のようにマッドハッターの部屋では永遠と訳のわからないことを繰り返し、輪廻を感じさせる。回転は彼の重要なテーマだけど、この永遠の不変は気持ちが悪い。時間さえも無視している。
生死の境も分からない。靴下の化け物の生はもろく、膨らませばまた蘇る。首は簡単に切る。有機と無機の境も分からない。針山がハリネズミになったり、目や口が分離していてもすぐくっつく、人体の有機的な連帯を否定している。
痛みさえも無視し、石を投げつけ合う。
モラルさえも無視したいんだろうけど、さすがに赤ん坊を投げられない。
私たちが感じる意味や価値を否定される。意味性がないのに、なぜ物語が成立するのか。
それは、アリスが動くからだろう。アリスは自分の好奇心によって、もしくは引き出しやうさぎたちは拒絶しながらも、必ず彼女を音などをうまく用いて次へと誘うことによって、ストーリーは進んでいく。ストーリーがあるということは、意図や思いが排しきれていないということである。アリスは最後、自分を殺さないよう必死に主張するし、結局生への執着があり、それが話を作っている。極度のツンデレで話が成立している。
思えばヤンシュバンクマイエルはツンデレだ。無意味とか拒絶とか言ってる割に、どうして映画を作るのか。彼には伝えたい思いがあり、意志があるからである。矛盾だ。
冒頭に、目を閉じないと何も見えないという趣旨のことを言っていたが、まさにそういうことだろう。意味がないという意味を持つ主張を彼はしている。彼の作品は、逆説そのもの。
なお、アリスが笑うシーンはズラが取れたのを直してあげたところと、ハリネズミをフラミンゴで打って窓を割ったところ。ズラとか窓割れるで笑うって謎でもあり、ベタでもあるような笑
井出

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