今ちょうど読んでる高峰秀子の自伝的エッセイ「わたしの渡世日記」の中でこの映画のことが触れられていたので観てみた。
新東宝の制作だが、ストーリーがちとドロドロしてる以外は役者さんが松竹と違うくらいで、後はどこをとっても小津印。
敢えて乱暴なことを言うが、小津作品はスタイルがすべてで、ほぼ"家族"が舞台のストーリーはおまけみたいなものなのか。
小津の描く箱庭的で人工的な"家族"は、映画の中だけにおいて現実的だ。つまり極めて映画的だってこと。ファンタジー。
小津安二郎は生涯独身を貫いた。
またまた、乱暴なこと言うが、小津安二郎が繰り返し描く"家族"の悲喜交々は、小津自身が畏れながら憧れて、手に入れることが出来なかった"家族"へのアンビバレントな心象の現れ、と言うこともできる。
そこに戦争がどう影響してるんだろう。
この作品も戦後間もないので、"ストーリー"にその影は出てくる。
戦争が小津映画の"スタイル"にどう影響を与えたのか。
元々ただの潔癖で偏執狂だったりして。(笑)