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宗方姉妹のzhenli13のレビュー・感想・評価

宗方姉妹(1950年製作の映画)
3.7
これはまぎれもなく戦後だ。大義名分を失った戦後における男たちの戸惑い、挫折、虚無。堕落という名の、戦後派作家の述懐にも似た、戦後の男の罪禍を反語的に描く物語を小津監督は採用したのだ。戦後5年経っても戦争は生々しい。

犠牲になるのはいつも女。落ち込むヒマがあったら働けと言いたい。男たちがグダグダくだまいて述懐してる間に、必死で飯の糧を探し日銭を稼いできた女たち。そうしなければ生きてけない。生活のために体を売った田中絹代を打擲し階段から突き落としたのは『風の中の牝雞』の佐野周二だ。あれから幾分余裕もできた筈だけど、失職しながらろくな職探しもせず、妻の田中絹代が本当に慕っていたのが上原謙と知り自分の失職の後ろめたさへ上書きするかのようにモラハラかましまくる。そして田中絹代はまたも打擲される。山村聰、ここでは成瀬かよというくらいのモラハラクズ野郎。筋書きといい、高峰秀子のやたらエモーショナルな演技など、小津監督の迷いが出ている。そのものに意味を持たせたダイレクトな台詞も多い。そして暗い。『東京暮色』に匹敵する暗さ。雨、移動ショットなどもあるし、一点透視法の扉の奥へ消えていく、たくさん猫が遊ぶ路地裏など、珍しいショットもみられる。

「新しいってことはね、古くならないってことさ」
「おい、特攻。プロペラ野郎」
高峰秀子の台詞に込められた戦争と戦後。本当にそれを見てきた者にしか書けない台詞。

l drink upon occasion. Sometimes upon no occasion. - Don Quixote
『淑女は何を忘れたか』の酒場の壁に掲げられていたこの一文が、本作のバーにもある。戦争が始まる直前のかすかな不穏を押し隠すようなお気楽さを醸すことができた『淑女は何を忘れたか』を打ち消してゆく。だから斎藤達雄は序盤で姿を消す。わずかな照明で薄暗いバーに残った高峰秀子と山村聰。山村聰がこのl drink upon occasion.…を読み上げ、二人でショットグラスを壁の文章に投げつける。高峰秀子が投げ続け、グラスの割れる音、山村聰の高笑いに、陽気なスペイン風劇伴が重なる。ぞっとした。
料亭に現れた山村聰の目にも狂気を感じる。

死ぬという行為は卑怯なのだと思った。生きる者にとって。
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