パングロス

パーフェクトブルーのパングロスのレビュー・感想・評価

パーフェクトブルー(1998年製作の映画)
3.7
◎アイドルオタクとネット依存症の病理
四半世紀前に「現在」を予見したサイキックホラー

かつて関西の番組で、北野誠とのコンビで愉快に雑談していたサブカルおじさん、竹内義和って、本当は才能のあるクリエイターだったんですね。
本作で正直いちばん驚かされた事実だ。

今日イオンで観てきたばかり。trend ですぐ出てくるかと思ったら見つからず。検索でヒットしたが、何故か「上映中」の表示なし。
Wikipedia には、4Kリマスター版が2023年9月15日から全国で劇場公開とあるので、遅れての上映か、リクエスト上映か、なのかな?

スコアは、作品自体は4.2相当だが、ネタバレしなければ言及できない、ある理由によって0.5減点、で 3.7とした。

【以下ネタバレ注意⚠️】






冒頭述べたように、昨年来、本邦では某芸能事務所のファン=オタクたちによる誹謗中傷や妄想的な陰謀論が社会問題となっているように、アイドルオタクのネット依存症による精神病理は、まさに現在的課題だ。

それに、これも同時に現在進行の課題である、アイドルの性的消費の問題をからめて、今から25年前の1997年に本作が制作された、というのは、まさに時代を先取りした先見性がある。
(このためにR15のレイティングとなっているが、本作で描かれている性的なシーンは、いずれも犯罪性はなく、本人の同意さえあれば現在でも全く問題にならない種類のものである。)

いわゆる「ヘアヌード」が解禁されて間もないころ。アイドルだったミマのヘアが表現されているのはアニメとしては先進的だったのでは?

ということで、ドラマ、作劇としては、現時点で観ても、よくできている。

ただ、全く事前情報なしに観始めたこともあって、開始後かなり経つまで、
「何故、これを実写で撮らないのか?」
が納得できず、昔のこととて、動かないセルアニメ時代の画面を観ながら疑問を感じ続けていた。

まぁ、中盤過ぎたあたりで、主人公ミマの分身が本人の前に現れ、ふわふわと重力の法則を無視して移動するさまを見せてくれたので、アニメらしい表現ではあるなぁと、一応思いはした。

また、ビルの屋上を俯瞰で見下ろすショットや、そのまま別のビルに、ミマ本人はありえない赤い渡り廊下を走って、分身はその前をふわふわ浮かびながら移動したり、といった幻想シーンもあるにはある。

しかし、現在なら、それらもドローンなどを使って、比較的容易に実写することも可能だし、分身の表現だって特殊効果でなんとでもなることだろう。

Wikipedia によれば、実際、2002年にアニメ版とは関係なく、竹内の別の短編を原作としてサトウトシキが監督した実写映画が作られたようだ。
ところが、そちらはWikipedia でもそれだけしか触れられていないから、海外でも公開され今敏監督の出世作として高く評価されている本作とは違い、残念な出来ばえだったのだろう。
本作自体の実写化についても、アメリカの監督がリメイクする噂もあったが立ち消えになった由。
むしろ、今こそ、海外に委ねず、アイドル大国日本として、本作の実写リメイクに取り組む価値は充分あるのではなかろうか。

さて、ドラマの作り自体は高く評価できるが、許しがたかったのは、殺人犯の作画上のルッキズムについてである。

本作のキャラクターデザインの原案は、江口寿史だそうで、もともと彼のコミックが好きだったこともあり、主人公ミマをはじめ、登場するアイドルや女優の顔だちやスタイルは、いつもの江口らしさを感じさせて眼福である。

ところが、序盤から、アイドルコンサートの警備員のバイトとして登場する内田守が、どう見ても普通とは思えない「目離れ」で歯も乱杭という、かなり酷く醜い人外めいた表情の人物として描かれているのだ。

もうひとり、異常なほど「目離れ」として描かれている人物がいる。
ミマのマネージャー、ルミだ。
中盤まで、「内田の方は、病的なオタクとして、まだわからないでもないが、なぜルミもこんな風に描くのか? アイドルや女優以外はブサイクでいいということか?」と疑問に思っていた。

これが伏線だったことは、終盤になってようやくわかる。

ミマを襲い、レイプした上で殺そうとした内田は、すんでのところでミマの反撃に遭って致命傷を追う。
これで万事解決したかと思いきや、ルミがアイドル歌手時代のミマの衣装を着込んで、これまでミマが夢や幻影として見てきた「本当のミマ」となって、ミマに襲いかかるのだ。
途中、ミマがドラマのなかで、ストリップ嬢となって観客にレイプされるというシーンの撮影を見ていたルミが涙を流して退室し、しばらくの間、ミマの前から姿を消すというエピソードがあった。つまり、ルミは、愛するミマが演技とは言え、レイプされるのを見て、精神が崩壊し、自分がアイドル歌手時代のミマだと思い込む多重人格者となってしまったという設定である。
(このあたり、クィア、LGBTQ+な要素を感じるが明瞭には描かれない。)

このミマを愛するがゆえに「殺人犯」となる2人が共通性を持つという設定自体は、作劇としてはありで、面白くもある。
(真犯人の解釈については、Wikipedia に種明かしされていた。そうであっても、2人の顔だちの共通性については、依然意図的に表現されたとして問題なかろう。)
しかし、その表現を異常な「目離れ」というルッキズムを悪用した形で行うのは、どう考えてもアウトではないか。

岡田斗司夫が、昨年の話題作「福田村事件」を評して、被害者やいい人側が揃ってイケメンや美女で、殺人を犯す側が揃って不細工だというのは、それ自体、目的のためには手段を選ばないテロリストの論理と同じで、作品の趣旨に反する、明らかな差別行為だ、と指摘しており、大いに賛同を表明したい。
本作の「殺人犯」の表現についても、まさにこの「ルッキズムによる差別」の典型例だと指摘しなければならない。

作品としての出来ばえがいいだけに、そうしたモラル面での時代遅れだけは、まことに惜しいところだ。

《参考》
【映画:福田村事件レビュー】なんでこんな映画作って平気なの?/僕は理解できない/炎上覚悟!/世間とあたしゃズレてます/【岡田斗司夫ゼミ/切り抜き/映画/差別/デマ】
2023.9.12
m.youtube.com/watch?v=dMwLUyulgNs&t=216s&pp=ygUf5bKh55Sw5paX5Y-45aSrIOemj-eUsOadkeS6i-S7tg%3D%3D
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