レインウォッチャー

曲がれ!スプーンのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

曲がれ!スプーン(2009年製作の映画)
2.0
■RWと48の地獄㉕
奪われた体の一部を取り戻すため、RWは大晦日までに48の魔物を倒さねばならない!奴等は地獄映画の中に潜んでいる…

□戦績
この映画を好きな人からは、「あーあ、夢を信じるキモチをなくしたかわいそうな人なのね」という矢が飛んでくることが目に見えている。

しかしそれ、キャッチ!からの、えい!!即カウンターである(おでこの血を拭いながら)。
信じるキモチを何より裏切ってるのは、この映画ですよね?と。

今作の登場人物は、誰もが、一切、成長する気がない。不思議現象を信じるTV局スタッフ・ヨネも、相対する隠れエスパーの面々も。

ヨネはただ「目に見えるものしか信じられない人たちをぎゃふんと言わせる」とか言いつつ、他人に勝手に期待しては勝手に落胆しているだけ。
一応、自分の足で全国を回ってはいるのだけれど、それも上司から言われたからやってるのであって、基本的に他力本願のお仕事にしか見えないのだ(長澤まさみの塩演技が助長してるのもあるし、レンズカバーを外さない癖が最後まで治っていない演出でむしろ変わってないことを強調している)。

信じる、ってそうじゃないじゃあないですか。
本気で「信じる」を因数分解するなら、異なる立場の言い分もよく聞いて、壁にぶつかって、葛藤を乗り越えて実現していくことになるもんじゃあないですか。

それが直接的にも比喩的にもまったく描かれず何にも解決しない中、今作でエスパーたちが用意した最後の展開は、ひとつも感動的なんかじゃあないぜ。ただの子供だましのごまかしで、もっと言えばだまくらかしに近いと思う。
で、それは作り手の観客に対する見立てと等しいことに気付くべきだ。「よかったでちゅね~」とあしらわれているのである。

ここは泣ける場面ですよと歌うだけのストリングスメインの記号的音楽とか、とりあえず子供たちの写真を並べておくのとか、本当に勘弁してほしいし、ひどい。どこの学校を卒業したら身につくんだ、その道徳。

原作の舞台をそのまま移植したような喫茶店内の空間(美術も演技も)も、悪い意味で違和感がすごい。
中盤以降、そこに外から長澤まさみが合流すると、まるで実写とアニメーションが工夫ゼロで同居しているような居心地の悪さがあって、永遠に解消されない。

七億歩譲って、これがいたいけなJSが主人公とかならぎりぎりアリだったかも。だが、大人が大人向けに広く金をとろうとして作った作品なのだとしたら愚にもつかない。

もしわたしがエスパーだったなら、スプーンよりも先に今作が生まれた歴史を曲げて消すだろう。いや、あるいはこの映画自体が、邪悪なエスパーからの攻撃だったのかもしれない。


□倒しかた
当時22歳の長澤まさみはそりゃあかわいいですよ。振り向くたび、毎回心臓止まりますよ。

しかし、むしろそれゆえ憎さ100倍なのである。矢野顕子やYUKIの名曲使いも、末代まで謝ってほしい気持ち。


□分類
KM地獄


□取り戻したパーツ
先割れスプーン


□次回予告
分裂!二●国!