けー

フィラデルフィアのけーのネタバレレビュー・内容・結末

フィラデルフィア(1993年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

困ったな。
うーん、 困った。

この映画、一度テレビで見たことがあって、その時はきちんと(←?)主人公に感情移入しまくりでエンディングの主人公の子供の頃のビデオが流れるところで泣きまくっていたようなきがするんだけれども...。

うん。

テレビで見た時トム・ハンクスのことは何となく知っていたけれども、デンゼル先生のことを全然知らなかったんだよね。

だからデンゼル先生の出演作品を攻略すると決めてIMDb を見た時に「えー、あの映画で弁護士役やっていたのはデンゼル先生だったのー?!」と驚いたものの、どんな感じだったとかはほとんどというか全然思い出せなくて。

で、これは見なくっちゃだなとは思っていたんだけれども、なんというかなんとなくご縁がなくてここまで見ないままできちゃって。

で、久しぶりにたっぷりデンゼル先生を堪能したいと思ってアマプラでレンタルして見てみたのですが...。

あれ?

泣くよりもだね...。

「マザーレス・ブルックリン」を見た後だから余計にそう思ったのかもしれないけれども。

映画の冒頭のミラー(デンゼル・ワシントン)とベケット(トム・ハンクス)の建築現場の騒音や粉塵を巡っての訴訟シーンとその後に続くフィラデルフィアの街並みが映るオープニングを見たときに、すぐに「マザーレス・ブルックリン」を思い出して、ああここにも都市開発の波が押し寄せて来てるんだなぁとかって思って、それで日頃、弱者の気持ちなど微塵も気にしなかった企業弁護士であるベケットが病気をきっかけにミラーに弁護を頼むことで有色人種や低所得層が被っている差別問題への知識を深め、ミラーはベケットの弁護をすることで同性愛者やエイズ患者に抱いていた自分の偏見に気がつき、それを改め力になっていく的な話になるのかなー?と思ったら、全然違った(←1回見たことあったんとちゃうんかいな)

あと映画を見ていくうちに、デンザル先生が演じているこのミラーという弁護士さんは元々白人の俳優さんがキャスティングされる予定だったんだろうなぁってなんとなく思って(”これって黒人の俳優さんが演じているけれど本当は白人の俳優を想定して書かれたのではないか?”と感じるのは、私の中にある”偏見”や”思い込み”がそうさせるのだと思うのでそういう風に感じてしまう自分が嫌というか、我ながら、なんでそんなことを思ってしまうんだろうと困惑中な案件なので、まぁちょっと置いておきます)。

「マザーレス・ブルックリン」みたおかげで、映画の冒頭の建築現場での騒音などを巡っての訴訟で、建築会社の弁護人であるベケットが判事にいった「私のクライアントはこの地域の学校やユース・センターに莫大な寄付をして地域貢献をしている。この建築をやめればフィラデルフィアの何百人もの人間から職を奪う事になる」っていうところで、”ついでに公園もいっぱい作ってんだろーよ?”ってツッコミたくなって(「ワイルド・スピードMEGA MAX(Fast Five)」でマフィアのボスが”住民に必要なものを与えているから誰も俺に逆らえない”的なこと言ってたのも思い出したりしてベケットに対してますますモヤモヤ)。

雇用を生むというのはお金を稼がないと生きていけないこの世界ではとても重要なことだけれど、だからと言ってその騒音や埃に苦しんでいる人たちがいることを軽く見るというのは、公害病で深刻な被害が出ているのに知らんぷりするのと同じことで。
もしも自分がその被害を被る側になった場合のことを考えても、「うるさいこというなよー。お前だって仕事必要だろー」で葬ってしまうのは危険なことだと思うし。
近所で建築工事されたと考えて、粉塵やら騒音に全く気を使ってもらえないっていうのはどう考えも嫌すぎる。
化学的に分析して人体に無害ったって喘息だったりしたら成分が無害だろうが咳き込むんじゃこのばかちんが!とかどんどんベケットに憤りが(弁護士をつけるのは人としての権利なわけだから、企業弁護士に腹立てるのは筋違いなんだろうけれども)。

あとなんというか同性愛者としてベケットはかなり恵まれているなぁというのも感じた。

だって家族がみんな知っていて彼が同性愛者であることもその恋人のことも丸ごと受け入れて祝福してくれている感じで。
家族が受け入れてくれているなら、結構怖いものないぜって気持ちになれるんじゃないかなって思って。

もちろん就職先や世間から差別されるのもとんでもないけれど、でも家族にバレるのを心配するとか、そのことでお父さんには口をきいてもらえなくなったとかって、そういう問題に苦しめられていないだけベケットは全然幸せだし。

家族に認められているからベケットの恋人は病院にずっと付き添うこともできるけれど、”身内の方しかお通しできません”って、同性愛者の方の結婚が法的に認められていなければ、付き添うことができなかったり、どんなに緊急に手術が必要でもそのサインすらすることもできないっていう制約が出てくるわけで。

この映画をみた同性愛者の人たちはそのあたりどう思ったのかなと思って。
例えば人種差別についての映画を白人の人が作ると、そういう「差別」は現在は存在しないという印象を与えがちになってしまう作りになってしまう傾向になる感じなのと同じで、なんというか痒いとことに手が届かないみたいな印象にはならなかったのかしらとか。

まぁ映画やドラマは作り物だし、どう表現しても自由だけれど、ただ結局監督は何が描きたかったのかなってちょっと気になって(監督というよりはシナリオライターはというべきなのかな?)。

エイズになったことがまるでその人の非であるかのような風潮に一石を投じるということが一番の目的だったとは思うのだけれど。

やたらとアップが多い映画だったのでデンゼル先生のキラキラお目目にドギマギしてしまった。
こちらを見つめてくるようなショットがとにかく多くて、モニター画面でもかなりの眼圧だったのにこれが大スクリーンだと照れてしまって見られないー。その点では感謝の気持ちでいっぱいだぜ、監督!(←は?)

すごく長くとっていたオペラのシーンは、あれはなんだろうミラーがベケットにちょっとぐらっとくるとかっていうシーンだったのか、”もうすぐ死んじゃうんだなぁコイツ”って切なくなっちゃうシーンだったのか。
“いいから俺の話を聞けよー”というのがミラーの本音だったんじゃなかろうかと思いつつ。

でもやっぱりもうすぐ命を終えようとしている人の側にいるというのはそれだけで思うところがいっぱいあって誰だって感傷的になっちゃうよなって。
家に戻って娘や奥さんのことをミラーが抱きしめていたのは、そういう切なさで胸いっぱいになっちゃったんだろうなって。

ここまで書いて、実際はどういう感じだったんだろうとちょっとジョナサン・デミ監督のインタビューを検索してみたらなるほど納得な答えが。


まずミラーは当初白人を想定して書かれていてデンゼル先生がキャスティングされたからといってあえて書きなおさなかったという点。

監督はそのことについてデンゼル先生に尋ねたら、あえてミラーのキャラクターを黒人として書き直す必要はないという監督の考えにデンゼル先生も同意。
いつものデンゼル先生らしく、役作りのためにミラーのように民事や個人の補償などを専門に扱っている弁護士さんに実際くっついて過ごしたとか。

それから同性愛者の描き方については、そもそもこの映画を作ろうと監督が思ったのは、監督の奥さんの親友がエイズに感染してしまったことがきっかけで、奥さんを通して監督もその方とはとても仲良くなっていて、それでそのことを知って彼や彼の知り合いが直面している苦境をきいて、その状況をなんとかできないかと映画を作ろうと思ったとか。

旧知のシナリオライター、ロン・ナイスウェイナーにその気持ちを話したら同意してくれて一緒に題材探しを初めて。
最初このシナリオが書き上がった時にはかなりアグレッシブで差別する世間を糾弾するような内容だったけれども、この映画をみて欲しいのは同性愛の人達やエイズについて正しい知識を持っている人たちではなくて、むしろそういったことに偏見を持っていてその”偏見”を自分が持っていることにさえ気がついていないような層だと思ったことで、”怒り”の部分を作品から排除していったとか。

ベケットと恋人のベットシーンも撮影したもののラッシュをみんなで見て、「うーん、これはまだ見る側の(自分達も含めて)気持ちの準備ができていないかな」とカットしたとか。

あと、ミラーのホモフォビアな一面について、デンゼル先生がミラーのその面を理解して演じることに苦戦していたという話を監督がしていたあたりも読みながらニッコリ。

あと「クライシス・オブ・アメリカ(Manchurian Candidate)」もこのジョナサン・デミ監督だったんですね。シナリオを読んで、デンゼル先生がキャスティングされていると知って、引き受けたっていう監督の話にこれまたニッコリ。

デンゼル先生も「フィラデルフィア」のインタビューで、「なんの屈託もなく仕事ができた。多分、これまで映画を作ってきて初めての経験だと思う」って。

で、デンゼル先生が「クライシス・オブ・アメリカ」のシナリオを読んだ時、ジョナサン・デミ監督がいいなって言って、ジョナサン・デミ監督はそれをエージェントから聞いて、「わーい、デンゼルと仕事だー!」と大喜びしたものの「Manchurian Candidate」のリメイクって聞いて「えーっ、それはちょっとぉ...」と尻込み。でも送られてきたシナリオを3ページほど読んで「これは面白い!」と思って引き受けたんだそうです。

「クライシス・オブ・アメリカ」といえばデンゼル先生が演じた中でも異色なキャラクターだったので、あのシナリオを読んでデミ監督とならって思ったのなら、「フィラデルフィア」で仕事をしてみてデンゼル先生が心からデミ監督のこと信頼していたんだなーってそれがわかってまたまたにっこり。

「クライシス・オブ・アメリカ」の感想見直したら、自分の好み度が低いことに気がついた。

もう一度見直してみよう。
けー

けー