hosh

ギルバート・グレイプのhoshのレビュー・感想・評価

ギルバート・グレイプ(1993年製作の映画)
3.3
BSで鑑賞。片田舎で知的障害の弟、夫を亡くしたショックで過食症の母、2人の妹の世話をしながら生活するギルバート。そんなある日トレーラーで旅するベッキーと出会い…ジョニー・デップ、レオナルド・ディカプリオ共演。

若き日のデップとディカプリオの圧巻というほかない名演。ベッキーと交流する場面に顕著な自然光を活かした美しい撮影。寂れた街のうらびれた空気も映画への没入感を増させるのに一役買っており、さすが名作だなあと。が、あまり好きな作品ではない。感動的な作品とも思わなかった。むしろモヤモヤした。

デップが演じるギルバートは今で言うヤングケアラー。家族と辺鄙な土地という2つの困難を背負う。そのため自分の事は後回し。今の場所に縛られている。そんな彼がどのようにして変化し、旅立つのか。が重要な作品だと思う。

そんな成長を実現するラストの手段が良いものと思えなかった。あまりに即物的かつ痛みを伴う選択で画的なショックも大きい。しかし、この作品はその場面の後のエンドロールで「どこへでもいける」というセリフと音楽ですぐにポジティブな雰囲気になってしまう。主人公の状況的には確かに良いのかもしれないが、あまりに薄情というか性急というか…現実のままならなさを反映した作風とは思うのだけど、鑑賞している時の気分と劇中の人物たちの表情とのギャップには戸惑うしかなかった。

あとはギルバートのお母さんの扱いもなあ。「昔は美人だった」とか言う必要ある?。母は母でいなくなる直後までギルバートに感謝しないし。全体的に「今」を受け入れ、折り合いをつけて進むって感じじゃないのが気になった。映画が常に倫理的にただしく、丁寧である必要があるとは全く思わないけど、重たい題材を扱っていてかつ繊細な描写の作品なのだからもう少し慎重にやりませんか?という。

直近で見たのが『エブリシング・エブリウェア~』だったため、映画の中の家族描写や倫理観の変化も感じ取れて興味深かった。時代は変わる。もちろん映画も変わる。
hosh

hosh