カラン

蛇の道のカランのレビュー・感想・評価

蛇の道(1998年製作の映画)
3.5
復讐の復讐の復讐の、、、

新島(相川翔)というのは謎の男である。彼は町の数学教室の先生で、小学生からサラリーマンや主婦といった多様な生徒に数学を教えている。小さな黒板に数式のようなのを書く。黒板の大きさの割には字が大き過ぎるからすぐに式を消さねばならない。それにしても、字が大き過ぎるのか、黒板が小さいのか、数学者が数式を消さざるをえないとは、にわかに信じがたい。また、ずいぶんとゆっくり丁寧に書くのだが、チョークを握るのがまったく板についていないように思える。が、遊歩道のガタガタの路上にも数式をびっちり書く。天才少女のような小学生とよく数学の問題を解き、少女の頭を優しく撫でてやるこの男は、リーゼントで、チンピラ風のサングラスをかけて、ポケットに手を突っ込んでタバコを吸う。そして拳銃を所持しており、拉致や発砲に躊躇はない。

黒澤清はVシネで、『ゴドーを待ちながら』を突然やってみたくなったのだろうか。このような人物造形を享受するのはほとんど不可能に思える。しかし、不条理なシチュエーション全体を収めておいて、ヘンテコで、共感はほぼ不可能な人物たちの居場所は、確かにそういう空間になるだろうという場に人物を据えるべく、さっと引いて、ロングショットでカットされると、そういうものかと思えなくもないのであるが、これを短絡とは言わないものなのか?他に、隆起する道路、緑の丘を一緒に駆け下りる爽快さ、なども、一役かっているのだろう。最後まで観ることはたしかにできた。

復讐者に復讐者を重ねあわせるこの映画の抱え込んだとんでもないルサンチマンには驚くばかりである。拉致、拷問、拷問、虐殺。相手には事情を悟らせずにある程度痛めつけたら一気に殺す。いったい何にそんなにも復讐心を燃やすことがあるというのか?まったく謎であるが、こういう映画によってしか憂さを晴らせないというのならば、黒沢清はその人たちのために立派な仕事をしているだろう。シネフィル?いやあ、ちょっとねえ。

なお、数学教室にやって来た宮下(香川照之)が、帰ったはずの少女から路肩の闇のなかで自分が見られているのを見いだす箇所。ここは映画全体を象徴的に表しながら、単独としても素晴らしいショットであろう。宮下の欺瞞と来るべき死を知っている闇の中の数学少女に自分が見つめられているというのは、たしかに目を疑いたくなる。
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