えくそしす島

蛇の道のえくそしす島のレビュー・感想・評価

蛇の道(1998年製作の映画)
3.7
【人修羅】

「怖かった映画は?」
と聞かれると、必ず名前を挙げる作品がある。それは

黒沢清の
 「CURE」

怖さの“質の違い"は多様だから一概には言えないけれど、個人的に大好きな作品。
そして、同じくらい「怖い」と言われた同時期の作品がある。それが

「蛇の道」

監督:黒沢清
脚本:高橋洋

あらすじ
まだ幼い愛娘を何者かに“惨殺“された宮下は、自らの手で復讐することを決意。協力者である新島の助けを借りて、ある人物を拉致するのだが…。

「娘が殺された」

遺体発見。
死後約1週間経過。全身に16箇所の刺し傷。右手小指と左手中指を損傷、いずれも生活反応あり。外陰部及び膣部に著しい裂創、表皮剥脱、皮下出血無数、いずれも生活反応あり。

“生活反応あり"
受傷した時点では生きていたことを指し示す言葉。局所的にも。全身的にも。

死に至るまで長時間の拷問、陵辱を受けたと推定。直接の死因は数回に渡る頭部への打撲。脳髄は3分の2を損失。顔は原型を留めず、歯型より本人と確認する。

作中で幾度となく読み上げられる検死結果。うん、頭がおかしくなりますね。我が身に置き換えたら発狂ものです。

復讐する人。手伝う人。監禁される人。拷問される人。見えてくるものは人間の持つ闇と不協和音の連鎖。逸脱した狂気。嫌疑、怨恨、憎悪…。

類似作だと「⚪︎⚪︎が実は猟奇殺人鬼!」とか、そんなオチばっかりが散見されるけど、この作品はちょっと毛色が違う。

歪だった。
歪みに歪んでる。狂った理性。壊れた倫理観。だから、誰にも感情移入ができないし、作品自体からも“するな“と言われているような気さえする。

蛇の道は蛇。人ではなく修羅が行く道。古さ荒さを上回る面白さが詰まっていた。ああ、気持ち悪りぃ。すなわち好きぃ。

映画は「引き算」で描かれる。
ハッキリとした説明や描写なんて要らない。匂わすだけでも十分。足していくのではなくて、引いていく。その省いた先に炙り出される「人間の本性」や「後を引くおぞましさ」が頭に残り続ける。

ホラーやサスペンスなどのジャンル映画的な表層の事ではなくて、飛び越えた根本の部分。それが黒沢清作品の“怖さの質"だと思っている。

因みに、私が知る「こ、これは」と思う“拷問法"の一つをご紹介致します。
 
 「スカフィズム」

1.まずは二隻の木の小舟を準備します。

2.小舟の中に犠牲者を寝かせます。

3. 中で身動きが取れないようにロープで縛ります。

4.手・足・頭が出るようにしてもう一隻の船で蓋をします。

5.犠牲者に蜂蜜やミルクの混合物を強制的に飲ませて嘔吐と下痢を誘発させます。

6.外に出ている手・足・顔などに大量の蜂蜜やミルクをかけて蜂やハエなどの虫を誘います。

嘔吐と排便と虫。
毎日ミルクを飲まさせるので餓死もできずに延々と卵を産みつけられる。湧いたウジ虫に肉体の外からも内からも食べられt

誰だよこんなの考えた奴は!