なべ

大魔神のなべのレビュー・感想・評価

大魔神(1966年製作の映画)
4.0
 現在、大映4K映画祭なんて素晴らしいお祭が催されてる。時代劇の大映といわれた黄金期の名作がきれいになって一挙上映。市川雷蔵の大菩薩峠が観たかったのだが日が合わず、特撮時代劇の大魔神を観てきた。
 ディスクは持ってるけど、やはりテレビ画面で見るのとはわけが違う。50数年ぶりに荒ぶる神をスクリーンで拝んだことになるが、いやあ4Kの修復ぶりがハンパなくて、その圧倒的な絵ヂカラにちょっと泣いてしまった(音は割れ気味)。
 すごいねぇ、昔の邦画は。無駄のない脚本、澱みなく推移するシークエンス、心情に寄り添う劇伴、わかりやすいキャラクター設定。作品の隅々まで職人技が冴えわたってる。
 今だとジャニタレを使って姫とのロマンスを盛り込みつつ、お家再興に踏み出す若君の姿や、幸せに暮らす領民の姿なんかも描かれるだろう。それは観客各自が思い描けばいいのよ。自信がないからそういう余分なものを付け足しちゃうのな。最悪、夢オチなんかにしちゃうかも。しょーもな。この頃の映画人たちの職人魂は一体どこに消えたんだろう。
 公開は1966年。ぼくが怪獣大好きな4歳児だった頃。『ガメラ対バルゴン』の併映作品だった。大人になった今でこそ、ガメラより見応えあるエンタメ作品だとわかるが、当時は完全に“じゃない方”の映画だった。
 いやあ、話がおもしろいのはわかってたけど、ストーリーに身を任せる心地よさというのかな、観る者の琴線に的確に触れてくる巧さを改めて思い知ったわ。とにかくどんな描写も観てて快感。
 引率のお父さん・お母さん向けにつくられてるせいか、下剋上・お家再興・人身御供と、幼児には難しい戦国時代の慣習が目白押し。
 悪辣な謀反に始まり、理不尽な圧政、領民の強制労働と、観客が安心して憎める敵キャラ設定。悪すぎて逆に華がある。挙げ句の果てに武神像を破壊して領民の希望を打ち砕くこうなんて、えげつないアイデアをひらめくからね。そりゃバチも当たるわ。
 大鎚を振るってもびくともしない武神像の額にタガネ(巨大な釘みたいなもの)を打ち込む忌まわしさたるや。ツツッと血を流す武神像のオカルト描写もさることながら、侍どもの犯した罪深さに息を呑む。
 天罰覿面。不敬な輩を地獄に誘なう天変地異の荒々しさよ。一天にわかにかき曇り、吹き荒れし突風と轟く雷鳴。そして地割れ。地割れですぜ。パニックに陥った侍どもが右往左往しながら地面に飲まれる様を見てざまあみろとほくそ笑むのだ。ああ楽しい。
 さて、小笹の決死の祈りを受け、武神像は柔和から憤怒の表情へ。がいぃぃーーんん!大魔神降臨。
 荒ぶる神となった武神像がゆっくり足音を轟かせながら、外壁を破壊し、御家人どもを薙ぎ払い、踏み潰し、本丸の左馬之助に迫っていく…。悪を睨みつける眼力の力強いこと。まばたきしないからね。まばたきしなさすぎて、真っ赤に充血してるから。シネスコの左右をいっぱいいっぱい使った構図がいちいちカッコいい!
 弓も投石器も鎖も火攻めも、屁の突っ張りにもなりゃしない。相手は神様だから。身の丈5メートルほどの小さな巨神の暴れっぷりをぜひ堪能してほしい!
 特筆すべきは敵を殲滅した後も、魔神の怒りがおさまらないところ。殺戮は善良な農民にも及び始めるの。これはなかなか思いつかないアイディア。八百万の神がおわす日本ならではの発想なんじゃないだろうか。ほら、鬼子母神や菅原道真のように、残虐な事件や不遇の死を遂げた偉人の魂を鎮めるのに神として祀るって謎理論があるじゃない。ディズニーでは思いつかない日本独自の感覚。
 クライマックス後のもう一波乱としてこのシークエンスがあるから、再度小笹の登板が必要になるんだよね。
 昔、天皇陛下もご覧になられた怪獣図鑑に、確か大魔神も載ってたと思うんだが、弱点の項目に「乙女の涙」と書かれていたのがとても印象に残ってる。子供心に「え、大喜利?」と思ったことを付け加えておく。

 さあ、祭りが終わる前に「斬る」だけは絶対観に行くよ。予告しとくけど満点つけるから!
なべ

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