ヤンデル

ドライビング Miss デイジーのヤンデルのレビュー・感想・評価

ドライビング Miss デイジー(1989年製作の映画)
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・心温まるストーリーではあるが、単純に差別を乗り越えてデイジーとホークが友情を交わす話ではなく、デイジーの根底の差別意識はなくなっていないというところがポイント。

・デイジーは「私は差別主義者ではない」と話しているが、無意識に白人と黒人を区別しており、これは現代から見ると実質的に差別に他ならない。

・キング牧師の「黒人が困難な立場にいるのは、悪意の白人の為だけでなく、善意の白人の無関心と無視による」という演説がこれを表している。演説の中の「暗闇の子の言動」、「光の子が抱く恐怖と無関心」も悪意の白人、善意の白人と同等の意味ということ。

・キング牧師の演説食事会に誘われたホークだが、会場では白人も黒人もパーティのような立派な身なりをしている。事前に衣装を準備しているならまだしも、運転手姿のホークが当日出席しても見すぼらしく見えてしまうだろう。そういったことに善意のデイジーが気づいていないことにホークは悪態をついている。

・KKKによるユダヤ教寺院爆破事件が取り上げられる。白人とはいえドイツ系ユダヤ人も社会の中では少数派であり、差別の対象になっている。そこに、ホークは自身の友人の父親がKKKにリンチにされた事件の話をするが、デイジーに同情はない。つまり、彼らはほぼ同じ立場でありながら、デイジーにその共感性はないのだ。

・ドライブでアラバマに入ったときに警察官の職質を受けるようなシーンがあるが、これも黒人というだけで警察に職質される当時の社会状況を表している。そしてデイジーもドイツ系ユダヤ人の名前を差別的に問われる。

・この映画を通して、確かにデイジーとホークは友情を交わしているのだが、デイジーがホークを信頼し、頼るようになっても、デイジーは台所で食事をするホークを同じテーブルに誘おうとしない。やはり無意識の差別が続いていることを表しているのだ。

・映画のラストでは、2人は同じテーブルにつき、ホークがデイジーにケーキを食べさせている。しかしそれは、時代が大きく移り変わったのち、デイジーが認知症になってからの状況なので、そういった意味では感動的だが皮肉なラストでもある。
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