観たけど書いてない、書けてなかった映画をもう一度観直そう⑪
1989年アカデミー作品賞。
アカデミー作品賞の傾向の一つとして、
マイノリティを題材にして、万人が「まあ、良い映画だね、」て、ところに落ち着く年もありますね、
「ゴーダ」なんかや本作がそれに当たるのかな。
正直、初見の時は「悪くはないけど、、なんかわがままなお金持ちのお婆さんの小さな話だなあ、、」くらいで、あまり好印象は持っていませんでした。
でも、今回、「小さいけど、抑えどころをわきまえた、上手い映画!」と印象が変わって
いました。
1940後半から1960年代にかけてのアトランタが舞台。
ジェシカ・ダンティ演じる老婦人デイジーは車を出そうとして垣根に突っ込んでしまう。
ダン・エイクロイド演じる息子は、デイジーに運転手をつけます。
それが、モーガン・フリーマン演じるホーク。
ホークを拒否し続けているデイジーたが、徐々に彼の仕事や人間性を認めていくのです。
この展開は先が読めますよね。きっとハートフルなゴールに向かっていくだろうと、、
最近、観た映画、例えば「TAR」例えば「ロブスター」、先が読めない、ゴールが見えないことが魅力のひとつだったのですけれど、
本作のように読める映画を安心して観るのもたまには良いものです。
頑固な老婦人と実直な黒人ドライバーはどこで心が通じ合うのか?
人と人との関わりという表のドラマと共に、デイジーの内面の「差別心」との闘いと見ることもできました。
つまり、デイジーは、元教師であり、「私はレイシストでない。」というインテリジェンスとしての誇りがあります。後半、彼女はキング牧師の集会に参加しています。
でも、頭では理解していても、心のどこかで
ホークを蔑む気持ちは消えているないでいます。
当初、ホークの運転を拒んでいたデイジー。「私は大丈夫」と意地を張っているようですが、ホークだから、黒人だからというこだわりはあったはず。
事実、缶詰が無くなった時にホークに違いない!と決め付けます。
そんな相反する思いを持ったデイジーが一気にホークを近しく感じる場面が出てきます。
今回、僕が発見したこと。
良き仕事の思い出が悪き偏見や差別を遮る壁になっていく。
デイジーがホークに心を開く場面。
それは教えるという彼女の仕事に関係します。
ホークが文盲と知り、練習帳を渡すあたりから、距離を縮めていくからです。
さらに、ホークが警察に職務質問をされる場面、同時に警察官は、ユダヤ人への偏見も感じます。
自ら意識していなかった差別の本質を、他者に行なわれたことにより、意識していくデイジー。
この二つのエピソードの置き方が実に上手いなあと思いました。
あとは、名優二人と共に静かな時の流れに身を任せて観ます。
優しく切なく、静かな幕引きまで、