CANACO

レイジング・ブルのCANACOのレビュー・感想・評価

レイジング・ブル(1980年製作の映画)
3.7
ロバート・デ・ニーロ、ジョー・ペシ、フランク・ヴィンセントと、『グッド・フェローズ』にも出ていた3人が見られる。

デ・ニーロの過酷な肉体改造を伴う役作りは世間を驚かせ、“デ・ニーロアプローチ”という呼び名ができた。本作でデ・ニーロは、アカデミー出演男優賞を受賞。
ボクサーを演じるため身体をつくり上げただけでなく、その後の姿を体現した肥満体型は圧巻。肉襦袢つけてないですよね……? 10年かけて撮ったわけではないですよね……?と聞きたくなるほど、一作品の中で変容するデ・ニーロは必見。改造期間は減量で半年、増量で4ヶ月という短さだったようだ。

体力・気質・環境ともにボクサーになるべくしてなったジェイク・ラモッタという荒ぶる若者が、マフィアからもちかけられた八百長を受け入れてから苦悩し始め、周囲を巻き込み崩れていく物語。

ジェイクは、チャンプになる夢と、「タイトルマッチをセッティングしてもらうために、勝てるはずの相手に負ける」という屈辱との狭間で苦悩する。交渉は全て弟・ジョーイまかせ。ジェイクは、葛藤・孤独・焦り・嫉妬といったあらゆる感情を怒りでしか表現できない。怒りの矛先は、味方であるはずの弟や妻のビッキーに向かっていく。

本人の回想録を基にした実話で、この話をスコセッシに撮らせたのはデ・ニーロだという。スポーツは全くわからんと拒んだスコセッシを説得し、「こいつ(ジェイク)はゴキブリ野郎だ」と言った映画会社の重役をも「彼はそんな人間じゃない」と説得したそうだ。

当時のジェイクは、エキセントリックという言葉では収まらないほど面倒な人物で、その闇は深い。本人の回想録には以下のような記述があるらしい。
「夜、時おり過去を振り返ると、自分の人生が古い白黒映画になって頭に浮かんでくる。なぜ白黒なのかは分からないが、そうなのだ。その映画はもちろんA級の作品ではなく、薄暗いシーンが続いてオープニングもエンディングもない」

鬱と闘っていたスコセッシは、彼の回想録からラモッタの苦悩が普遍的であることを知ったという。道の途中で突きつけられる理不尽な要求、「なぜそれを受け入れなければいけないのか」という怒り、受け入れたときに渦巻く忸怩たる思いは、クズ男でなくても抱くものだ。

3000人のエキストラの協力により撮った、“夢の舞台”マルセル・セルダン戦のリングに向かうまでのジェイク入場シーンは、背筋に興奮が走り、目眩がするほどの高揚感を伝えてくる。ジェイクはクズ男だった。しかし本物のボクサーだった。そういう物語だった。

※「ローリングストーン」の記事「スコセッシとデ・ニーロが語る『我々が学んだ10のこと』」と、「CINEMORE」の記事「『レイジング・ブル』スコセッシ、デ・ニーロ、ジョー・ペシの黄金チームはいかにして最初の一歩を踏み出したか?」参照しました。

メモ
・マルセル・セルダンはエディット・ピアフと大恋愛した人物。ジェイクとの雪辱戦が決まっていたが、パリから戦いの地・ニューヨークへ向かう際に乗った飛行機が墜落し、死亡した。

・この作品にジョー・ペシを抜擢し、その才能をスコセッシに教えたのもデ・ニーロらしい。業界に嫌気がさしていたペシをスコセッシが説得して出演にこぎつけたというが、ホント正解。ペシも、怒らせると一番ヤバいタイプ・ジョージをまるで実在するかのように演じていた。この頃のデ・ニーロに負けない存在感で渡り合える役者なんて何人いただろう。
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