レオピン

タッカーのレオピンのレビュー・感想・評価

タッカー(1988年製作の映画)
3.8
50台でも5千万でもかまわないじゃないか
ただの機械だ

プレストン・トマス・タッカー(1903-1956)
タイプAっぽい性格だなぁと思って見ていたが案の定短い生涯だったよう。心因性の病気ではなかったようだがあんなに激しやすい人間も中々いない。それにしてもブリッジズのあのスマイルにどこか騙される。とんでもない詐欺師にも見える。けれどビジョナリーというのはどこかみんなああなんだ。誰も想像すらしたことないものを一人だけが見ている。当然怪しく映るもの。

一番合わないのは前例踏襲の官僚タイプ。タッカーも言っていた。息子が大学へ行かずに父の元で働きたいと言い出した時。彼は政治家と弁護士ほど世の中につまらない職業はないと喝破していた。

戦後まもなく、量産寸前で生産中止に追いやられた車、タッカー'48(タッカー・トーピード)。BIG3(クライスラー・GM・フォード)の政治力の前につぶされたタッカー自動車。

その先進性は衝突時にフロントガラスが外れる設計やシートベルト採用など安全面に大きく配慮した所にあるそう。またヘッドライトの中間の3つ目のライトがステアリングに連動していて進行方向を照らすとか色々斬新。今見てもワルツブルー色のグラマラスな車体は十分に魅力的だ。特に終幕の裁判のシーンで現存していた色とりどりのタッカー'48が一同に集うところはまぁ壮観だった。裁判長もニッコリ顔。

その法廷での弁論
大企業が新しいアイデアを持ったちっぽけな男の行動を妨害したら進歩の妨げになるだけでなく、この国が戦い守り抜いてきたすべてのものさえ妨害することになります。いつか我々は失墜しその理由さえ分からずかつての敵国からラジオや車を買うことになるんです。

そのうち敵国にと言ったところで傍聴席から失笑が漏れる。だがそれは数年後に現実となった。官僚主義が技術者のアイデアを殺す光景には何度か見覚えがある。Winnyの金子勇 発光ダイオードの中村修二。彼と同時代に生きたシュンペーターも言ったとおり経済発展の原動力はまさにタッカーのようなイノベーターだ。創造的破壊が失われれば資本主義はやがて社会主義に近づいていくだろう。

法廷にはテスラとロケットの父ロバート・ゴダードの絵も飾ってあった。アメリカ人の底抜けの楽天性や発明家気質が存分にうかがい知れる1本。

妻のヴェラにジョアン・アレン 長男プレストンにクリスチャン・スレイター 二人とも90年代ジョン・ウー作品で活躍
エイブにマーティン・ランドー 盛田昭夫か藤沢武夫のような名参謀 前科アリ
技師組ではエディにフレデリック・フォレスト
自ら売り込みに来たアレックスにイライアス・コティーズ
ジミーにマコ岩松 家族は収容所暮らしを強いられるが技術を買われた この出演は意義深い

ハワード・ヒューズ役でディーン・ストックウェル あの暗さはなんなんだろう あれ?こんな所から血が出ている タッカーの知らんがなという顔がおかし

ちょっとブリッジズが浮いてるふうに感じた所もあったが、彼が最も偉大に見えたのは法廷でスケッチしているカット。法廷の帰りの車の中でもう新しい冷蔵庫についてのアイデアを語っている。既に前を見ている。なんと素晴らしい人間か。

エンドロールでは本物の彼と奥さんのスナップ写真が。そう、この作品は家族の絆も謳っている。序盤のバカ家族ぶりが破天荒でおかしかったが、彼はいついかなる時も幸せな家族に囲まれていた。

これほどに作り手が登場人物に仮託した作品には『ロッキー』と同様ちょっと弱い。この時代のコッポラは下降局面だった。80年代は厳しかったかもしれない。でも相変わらずファミリー総出の映画作り。フィルムメイカーという言葉はやはり彼にこそピッタリくる。まさに彼自身が発明家であり起業家でもあり冒険家であるからだろう。


⇒最後に86年に若くに亡くなったファミリーの長男ジャンカルロへの献辞が捧げられていた

⇒製作 ジョージ・ルーカス

⇒撮影 ヴィットリオ・ストラーロ
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