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パリは燃えているかのQTakaのレビュー・感想・評価

パリは燃えているか(1966年製作の映画)
3.8
ヨーロッパ大陸における第二次世界大戦は、日常生活と隣り合わせに存在した。
そんな戦争の姿をこの映画に確認できる。
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ナチスに支配されたパリの街を奪還する物語だ。
ナチス内部は、綻びが目立ち始め、冒頭のシーンではヒトラーの暗殺未遂が出てくる。
既に、ナチスに戦略的な勝利は見えなくなっている。
そして、いざとなったら、パリを「跡形もなく燃やせ」と言う命令を言い放つヒトラー。
大戦の最終局面を表していた。
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奪還するパルチザンと連合軍。
パリの市民は、その時を待っていた。
市民も警察も、神父さえも、いざその時は自ら戦う準備が出来ていた。
一方のパリを死守する事を命じられたパリ占領軍司令官コルティッツ将軍。
コルティッツ将軍の若い副官が、冷静で、しっかりした判断が出来る人柄として描かれている。
勝敗の有無は別にして、司令官には良い副官が必要だ。
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スウェーデン領事ノルドリンク(オーソン・ウェルズ)の存在がなんとも不思議だった。
ナチスによって占領されたパリの中で、反攻する市民との間で仲介役が出来る存在とは。
このような戦時下であればこそ、第三者の存在がとても重要なのだと分かる。
戦時下とは言え、そこにはルールが必要だし、そのルールを尽き付けて、正常を取り戻すための力と実行者が必要なわけだ。
その意味で、彼の存在は、ナチスにもレジスタンスの市民にも重要なのだ。
その結果、ちぎれそうな糸をたぐるようにして休戦協定が結ばれた。
そして、コルティッツ将軍とノルドリンク領事の会話が、この歴史の顛末を明らかに表していた。
「パリの爆破がドイツ軍の勝利につながるなら、それもやむを得んが。しかし、我々は破れた」
「彼(ヒトラー)は、正気ではないのだ」
これが全てだろう。
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レジスタンス政権が、新内閣の閣議を行う場所として首相官邸を選ぶのだが、この件がとてもフランスらしく思えた。
首相官邸を死守していた一群は、恐らく地元警察で、当初ナチス側に付いていると思われたのが、実は祖国フランスの為に重要なこの場所を死守していたという件だ。
その宮殿の荘厳さと、給仕を含めて、この場所の有り様の重要性を示すのは、そこにこの国の歴史と誇りを表しているのだろう。
いざ、ナチスから覇権を奪還したならば、まず第一に必要な場所である事は、当事者がいちばんよく分かっている。
何事も、歴史と文化に支えられているのである。
(果たして、この日本の場合は大丈夫だろうか?)
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ふるさとのパリへ帰ってきた兵士が、我が家の街並みを前にして、自分が入隊した時の事を語っていた。
「向かいのたばこ屋へタバコを買いに行くと言って出て、そのまま入隊したんだ」
恐らくそれくらい、急に、日常の中に戦争が入ってきたんだろう。
そうして、戦場へ向かったのだろう。
それが、あの戦争だったのだろう。
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隊列を整える間も惜しんで、パリへ入場したのは、その姿を持って市民を安心させるため。
このあたりも、実際の事なんだろう。
戦争は、兵士と戦車の戦術面も有るのだろうが、この場合、そこに市民がいて、パリが有った事が重要だ。
結局、ナチスは、パリを占拠したが、パリに受け入れられる事はなかった。
対照的に、連合軍がパリに入場した時に、パリは鐘の音と共に歓喜を持って受け入れた。(この鐘の音を表現に入れているのはまさに秀逸といえる。)
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市街戦は、真に迫るモノが有った。恐らく一部は実際のフィルムでは無いかと思うのだが。
戦車戦の場面で、相手にぶつけて勝利するシーンは、アニメ”ガールズ&パンツァー”を思わせるのだが、これはこっちの方が先だね。
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ラストシーンで、ノートルダム寺院の鐘が鳴る。
パリ解放をこの鐘の音で表すところがイイ。
ここに描かれた歴史の1ページは、色彩に満ちた映像だった。
もっとも、この映画はほとんど白黒なんだけどね。
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