大道幸之丞

めしの大道幸之丞のネタバレレビュー・内容・結末

めし(1951年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

成瀬巳喜男の最初の出世作。普遍的な「結婚と幸せ」というテーマを描く。主演の原節子は東宝専属第1回出演作。

周囲からはうらやまれるような夫婦岡本初之輔(上原謙)と三千代(原節子)は転勤で大阪にくらしている。生活ぶりは中流。時代はまだ大阪万博も東京五輪もない「高度成長期以前」戦後の影をひきづりやっと社会が整いつつある状況。初之輔は証券会社勤めで賭事も酒もやらない生真面目、堅実な人物。

しかし三千代は結婚したものの家事ばかりを淡々とこなし主婦業に埋没、いまや愛情も注いでくれない亭主に対し不満と結婚への疑問が生まれ始めていた。いわゆる「夫婦の倦怠期」。そこへ義理の妹岡本里子(島崎雪子)が突然訪ねてくる。

「家出してきた」とだけいい、実家を心配させたいだけの里子は家事を手伝うでもなく、ただごろごろして観光をしたり本気とも取れない職探しをするなど、奔放にしている。その姿に注意をしようともしない初之輔に対しても三千代は不満をつのらせ、ついに耐えきれなくなり里子とともに東京の実家へ帰省する。

実家では母まつ(杉村春子)と妹光子(杉葉子)長男信三(小林桂樹)が商売をしながら暮らしてい、三千代は久しぶりの安堵を満喫する。
しかしそこへ「映画を観ていたら遅くなった」とまたもや里子が不躾に「泊めてくれ」と押しかけてくる。母と妹は親切に対応するが信三はその非常識さをきっぱり里子へ告げる。そんな里子も両親の前ではいじらしい。単に甘やかされて育った娘で、娘もある意味では気の毒である。

三千代は自己逃避対象として、従兄弟の竹中一夫(二本柳寛)と初之輔を対比したりもしている。友人女性とも町中でばったり会うが、亭主が出奔し女手一つで子供を育てる姿に、敬意をむけつつも自分にはこんな苦労は出来ないとも感じる。

そんなところへ初之輔が出張で東京に来ておりばったり会う、がなぜか返事をせずに目をそらし思わず逃げてしまう。結局はカフェに入りふたりビールを飲みながらたわいのない話をするが、三千代の心中では何かが整頓されつつあるのであった。

この時代背景では「女はいい男を早く見つけて結婚するのが幸福」と誰もが疑いを持たない(現代もそう変わらないと思う)しかしそんな背景の中でも人は他人と自分の暮らしぶりを比較し「自分が不幸ではないか」と考えてもしまう。しかし愛情を注いでくれないと不満な妻も亭主が仕事では大変な苦労をし、ことあるごとに妻を立てているような姿を理解しようともしない。———これも現在でもそう変わることはないだろう。

本作では徹底して「気障りな行動」をする人物が出て来、鑑賞者の感情を逆なでする。そしてその回収もする。その演出が見事と感じる。観終わってみれば三千代の母親役、杉村春子は小津安二郎作品同様、次元の違う演技でもはやドラマの中心とも思える存在感を出していた事に気づく。

タイトルは最後の「オチ」に使われている。