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めしの記録のレビュー・感想・評価

めし(1951年製作の映画)
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あるシチュエーションを共有することが恋心のきっかけになるのであれば、愛とはきっかけを遠く過ぎてしまった2人の折り合いによって形作られる。

この映画の感想において愛という確かな質量を持った表現を用いていいものか自信はないが、バス車内から大阪観光をする上原謙と島崎雪子の微笑が恋心のきっかけを示すのであれば、島崎雪子の対極にある原節子と上原謙の関係を愛と呼んで差し支えないであろう。そしてこの物語において愛とは正しく折り合いによって形作られていく。営々とした生活の営みのなかで与えられた役割を全うする彼らは各々の領域を踏み越えることがない。「めし」とは唯一、台所で生きる原節子と居間と外界を行き交う上原謙の交錯地点であるが、その地点でさえ冒頭、原節子の「食べるときくらい新聞おやめになったら?」という台詞と、その台詞を誘発する直前の上原謙の仕草から分かるように脆く崩れかけているのである。ただ、きっかけを通過し強固に固まってしまった愛という名の生活の営みはその中で様々なシチュエーションを共有していくことで加速し、時に滞り、また日常へと逆流していくのである。物語の終盤、初めて上原謙と原節子がシチュエーションを共有するシーンがある。商店街の真ん中をいくお祭りの神輿を横道に避けるシーンだ。同じ方向を見つめる彼らはその後の喫茶店において「苦い」「うまい」と相反する感覚を持ち得ながら、あの時共に向いた方向から逃れることはできないのである。
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