アニマル泉

戦争と母性のアニマル泉のレビュー・感想・評価

戦争と母性(1933年製作の映画)
5.0
「ジョン・フォード作品は映画そのものである」というテーゼの具体例である美しい傑作。フォードは正しい、美しい。
室内の人物の配置、構図が揺るぎない。グリフィスのような堅固さだ。ジム(ノーマン・フォスター)とメアリー(マリアン・ニクソン)が逢引する藁小屋に刺す月光の繊細な美しさ、雪の日の窓越しに来る馬車のショットと続く床屋での雪景色バックでハンナ・ジェソップ(ヘンリエッタ・クロスマン)がジムの徴兵を申し出る場面の充実ぶり、そして激しい雨の官能。フォードは「雨」だ。ジムが戦死した直後に、激しい雷雨の中でハンナが胸騒ぎで目覚め、そこへメアリーの出産を助けて欲しいとメアリーの父(チャールズ・グレイプウィン)がやってくる場面は荒々しく官能的だ。映画的感動とはこういう事だとフォードは実証してくれる。
列車の場面が2度あるが、どちらも素晴らしい。最初はジムの出征をメアリーが見送る場面、列車がスレスレに大胆な構図で駅に着く、ジムが出征を遅らせて欲しいと上司に嘆願して奥の列車の窓から兵隊たちが覗いて大騒ぎになる、そして別れの場面、メアリーのアップだけである、長いアップにジムの声と列車が出発する轟音がオフで被り、メアリーの瞳に涙がいっぱいになる。息を呑む感動である。2度目はハンナの旅立ちにメアリーが勇気を出して見送る場面、メアリーが花を恐るおそる差し出す、差し出す花のアップ、ハンナの黒い手袋が受けとる、そのまま列車が動き出す。二人の顔は全く映さない。唸るしかない恐るべきショットだ。フォードは素晴らしい。
「投げる」ことは蓮實重彦が指摘するようにフォードの重要な主題だが、本作でもジムが池に石を投げた波紋にメアリーが映っているという美しい登場場面となっている。ハンナの登場は鶏に餌を撒く場面だ。パリでタクシー運転手が料金が少なすぎると怒ってお札を下に叩きつけると通行人やアパートの住人も参加して、てんやわんやの大騒ぎになる。お札を投げた瞬間にいきなり始まるのが実にいい。いきなり引っ叩くのもフォードの特徴だ。ハンナがパリで自殺しようとしているゲイリー(モーリス・マーフィー)をいきなり引っ叩くのが痛快だ。
冒頭からスーザンという犬が活躍する。犬が吠えてハンナがジムの夜這いに気づくのが可笑しい。ラストも犬が吠えて隠れている坊やをハンナが見つけて抱きしめる。この犬は本作のトップカットで家から飛び出して手前ギリギリで土を掘ったり、ジムと戯れたり、ハンナに寄り添ったり、素晴らしい芝居をする。フォードは犬と馬だ。
ダンスや行進などの華やかな群衆場面がフォードは上手い。
老人を愛おしく描くのもフォードならではだ。戦死を知ってハンナがジムの破り捨てた写真をつなぎ合わせる場面、トリュフォーの「逃げ去る恋」を想起した。ハンナのパリの射的場での狂乱ぶりも素晴らしい。次々に的に命中させる。シャンパンも破壊して、店員のパイプも撃ち落として、ビックリする店員を蝋人形ではなかったのか!とさらにハンナが驚愕する過剰さもフォードらしい。フォードが描く老人は独り身が多い。家族を何らかの事情で失い、独り身で生きているパターンが多いのだ。そしてフォードの女性は強く、逞しい。何かを守るために無償の愛を発揮する。ハンナとゲイリーが朝食の洗い物をする場面、ゲイリーが母が反対しているので結婚を認めてくれないと打ち明ける重要な場面なのだが、ハンナがゲイリーに白いエプロンを付けるのが鮮烈な印象となった。
構成はジムを失うまでの前半と、10年後のパリ訪問の後半で出来ている。前半のテンポと展開は隙がない完璧な仕上がりである。
原題は「Pilgrimage 巡礼」
アニマル泉

アニマル泉