Jeffrey

海潮音のJeffreyのレビュー・感想・評価

海潮音(1980年製作の映画)
2.0
「海潮音」

冒頭、海鳴りが響き渡る旧家。北陸の海沿いの寂れた漁港の町。思春期を迎える十五歳の少女、記憶喪失の女、祖母との三人暮し、隠蔽、曇った空と海、情事の目撃、怒り、寂しさ。今、父親の猟銃を淫らな二人に向ける…本作は記念すべきギルド八〇年代の第一作にして日本映画監督協会新人賞を受賞した橋浦方人が「星空のマリオネット」「蜜月」と本作の三本をATGで撮った監督で、本作では脚本も執筆している。星空の…だけが未だに円盤化されていない(VHSは持っている)。本作は早春の北陸能登の海辺でのオールロケ、石川県の重要文化財に指定の旧廻船問屋"角海家"の協力を経て重層的な映像を作った作品で、確か社長が交代してATGの作風も変化していった時代の一作目として有名だ。この度DVDを購入して再鑑賞したが地味ながら映像に力がある。やはり「津軽じょんがら節」もそうだが、北陸を舞台にしていると映像がダイナミックで迫力がある。

今思えば八〇年代と言うのは様々な傑作を新たに生んだ新しい時代の幕開けと言えるだろう。当時キネマ旬報ベストテンで堂々のーを取ったのは誰もが知っている鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」だ。こちらもATGであり、その年の八位に入り込んだのは本作品で、堂々の三位を手にしたのが大森一樹監督のATG「ヒポクラテスたち」そして九位には石井の「狂い咲きサンダーロード」七位は東陽一監督の「四季、奈津子」他にも黒澤明の「影武者」や木下恵介の「父よ母よ」なども発表された年である。ちなみに影武者は当時の日本興行収入歴代ー位を誇り三年後の「南極物語」に抜かれるまでは維持したしてカンヌ国際映画祭でも最高賞のパルムドール賞を受賞している。まだ日本映画の興行収入が実写映画が占めていたよき時代であった。今はアニメになってしまった…。


さて、物語はかつて漁港として栄えたが、今は寂れて閉鎖しきった北陸の海沿いの街。古い町並みの中でもひときわ立派な屋敷に、この旧家の当主で町の実力者である宇島理一郎は、思春期を迎えようとしている一人娘の伊代と、その祖母の図世と三人で暮らしている。町外れの町営住宅には、日くあるらしく理一郎の死んだ妻の弟、征夫が一人住んでいて、スナックのホステス、さちこと、付き合うともなく付き合っている。真冬のある朝、理一郎が海辺で記憶喪失の身許も知れない女を拾って家に住まわせたことから、これまで日常の中に隠蔽されてきた各々の悍しい記憶が蘇り、蠢き始める…と簡単に説明するとこんな感じで、ドキュメンタリーの手法を生かした演出と初潮を迎える前後の少女の主観による象徴的な表現とが結合し、過去を失った女と未来が空白な少女と時間の流れを背負う家の人々などを通して、戦後そのものをテーマにしたかのような場面の数々に、観客は激震させる。主演の荻野目慶子の映画デビュー作であり、彼女は確かヘレン・ケラーの少女時代を芸術座公演にて熱演して評価を得た新人女優である(奇跡の人)。


いゃ〜、登場人物(記憶喪失の女性)の設定が全くもって意味がわからない。まるでアントニオーニの常連女優のモニカ・ヴェッティ見ているかのようである。しかも娘役の荻野目の控えめな芝居から後に深作監督の「いつかギラギラする日」で強烈なビジュアルインパクトを残し、市川崑の「地獄島」でも印象的な演技をしていたのが忘れられない。この映画に限らないが橋浦監督はデリケートに演出をするものの物語の内容が意味がわからないのが結構多くあって、何を目的として制作したのかが理解不明である。この作品に至っても一軒の家の中で起こった心理的なドラマが写し出されているように思うのだが、いまいちストーリーがつかめないのである。

結局、記憶喪失の女性の過去は一切明かされないし、せっかく池部良がその女(山口)を食い物にしていたのに残念である(笑)。池辺の貫禄がある佇まいが、いかに北陸のこの小さな町の権力者であるかが伝わってくるのはよかった。ところで山口が演じる謎の女は自ら記憶を回復しようと言う努力が一切見られず、ただその家に居座るだけである。何のために彼女は登場するのかよくわからないのはそのためだ。一瞬画面が真っ赤にコントラストされて、男の後ろ姿が映り彼女のおぞましい記憶がフラッシュバックする場面は一応あるが、彼との関係もよくわからないままである。それと主人公の娘がその女に好意を見せているのもよくわからない。母親が死んでしまったので恋しいのだろうか、父親がその女に対して興味を持って家に置くのは自分の妻が死んだ悲しみを癒すためと言うのは何となくわかるのだが、女に同情する過程で、それまでことさら避けていた義兄との対立感情ははっきりさせざるをえなくなる。

それに泉谷しげる演じる叔父さんだって東京に行っていると言う会話を耳にするとなぜ田舎町にまた戻ってきてガソリンスタンドをやっているのかが謎である。娘は、私は東京に行ったら二度とここへ戻ってこないかもしれないと発言しているのに対して対比的である。それと娘が昔父が女犯そうとしているところを目撃して、幼い頃にやはり今家政婦として使っている女と父の情事を目撃したことを思い出し彼女は記憶喪失の女と父親が性行為をしている場面を見て父親の持っている猟銃を持ってきて二人に向けて射撃する幻想な演出はすごく良かった。そしてそのままクライマックスであーゆー感じになる(ネタバレになるため話せないか)。この映画は孤独で寂しい日本人像を描いていると感じたのは私だけだろうか、この作品を現代で監督したならその少女を最終的に自殺したエンディングになるだろう。しかしこの映画では決して少女は自殺しない、こんなにも寂しく厭世的な気分になる終わり方にもかかわらず…。最後に烏丸せつこも出演している。
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