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溺れゆく女のnetfilmsのレビュー・感想・評価

溺れゆく女(1998年製作の映画)
3.9
 私生児として生まれたマルタン(アレクシ・ロレ)は、10歳のとき父のもとで暮らすようになった。20歳になったマルタンは父の死とともに、狂ったように家を飛び出した。やがてパリに住む義理の兄(マチュー・アマルリック)のもとへ転がり込んだ彼は、そこで同居人のアリス(ジュリエット・ビノシュ)に出会う。冒頭のマルタンの10歳から20歳までのエピソードは、トリュフォー『大人は判ってくれない』のようで胸が熱くなる。やがて川に辿り着き、入水自殺を試みるも死ねない。浮浪者のような生活の中で、生活に困窮し、やがてパリに住む義理の兄を頼ることになるのだが、アレクシ・ロレとジュリエット・ビノシュの出会いの場面が良い。テシネの映画の中では、常に登場人物たちが忙しなく動き続ける。モーションの中に喜怒哀楽の全てがあり、印象的なモーションが何度も登場する。室内の場面でも人物の動線をめいっぱい使いながら、登場人物の感情を身振り手振りで観客に提示する。当時、30代半ばくらいだったジュリエット・ビノシュが、芸術家気質で心の優しいマチュー・アマルリックと若くてどこか頼りないが、危険な魅力を持つアレクシ・ロレの間で揺れ動く様子が前半部分の単線として描かれる。

 ただその心地良いムードが、ビノシュが妊娠を告げる辺りから急に険しくなる。前半部分ではどこまでも自由奔放で感情のままに生きる女に見えたビノシュがロレの病理に気づいたところから、彼に代わって自分探しの旅に出る後半部分はやや人格破綻にも見えるし、一見筋が通っていないようにも見える。ただそれを強引に筋の通った映画に見せてしまうような若き日のジュリエット・ビノシュの演技が実に素晴らしい。自分の仕事まで投げ打ってまで、老獪な刑事のように、マルタンの生家や家族に執拗にコンタクトを計る後半の描写というのはビノシュのロレに対する強い愛情に他ならないと共に、恋愛映画とはひと味違うテシネの妙味をしばし味わうことになる。またそんな彼女に逃げられながら、義理の弟にパートナーを寝取られながらも、それでもビノシュとロレのために尽くそうとするマチュー・アマルリックの誠実さに心打たれる。若き日のビノシュとアマルリックの葛藤が映画を支えている。
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