新木

カンフー・マスター!の新木のネタバレレビュー・内容・結末

カンフー・マスター!(1987年製作の映画)
3.2

このレビューはネタバレを含みます

そうか、ペタジーニだ。

母が自分の娘の同級生の男の子を好きになる、どこかで聞いたことのある関係性だった。正直この関係性はとても苦手だ。女性が年上というので、なぜかさらに苦手意識が出てしまう。共感はできない。ただ、いけないとわかっていながらもその人を好きになるという感情はわかる。
今回の場合は男の子側はなんとも立場が楽だ。まだあそこに毛も生えてなさそうなガキに責任が問われるはずもない。それに比べて女性側は離婚している(?)とはいえ、娘が2人もいる。しかも上の娘はもしかしたらその同級生の男の子を好きかもしれない。
この年の離れたふたりがお互いのどこに惹かれ合っているのかはよくわからなかったが、そんなのは恋愛のもっとも謎な部分のひとつなので、この際よしとする。しかし、疑いが残るなか、年上の娘ひとり残して男の子と無人島にいくこと。その娘も後日、笑顔で母のもとを訪ねてくること。まったく理解ができなかった。それにふたりは結局関係はなかったように描かれてるのはがっかり。

人間本来に備わる「人を好きになる」という本能は、現代では社会に蔓延る常識、関係性などを考慮せずにはならなく、抑えられてしまっている。この母親はおそらく法に触れていない(なにかはありそうだけど)。それでも僕は気持ち悪いと思った。現代の常識に侵されている。しかしこの「常識」は誰がつくったかもよくわからない。そしてこの5年を見てもさらにそれは(無駄に)厳しいものになっている印象がある。加えて、ますますAI化していく世界で、新たに出てくる正論を超えたものに人間は人間の頭でどう判断していけるのか。「バカ」にならないように気をつけないといけない。

冒頭で男の子がゲームを真似してカンフーの動きをしている始まりにはバッチリ心掴まれました。ラストのセリフもタバコの仕草もかっこいい。余韻としてのエンドロールはほしかったかな。

男の子はカンフーをマスターして大人になっていくのでしょう。ペタジーニもフォークに手を出さず、ボールを見送ることができるようになってからヤクルトの4番として輝けたように(意味不明
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