大道幸之丞

八日目の蝉の大道幸之丞のネタバレレビュー・内容・結末

八日目の蝉(2011年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

現実の不倫では男性側が繰り返す「妻とは別れるつもりだから待っててくれ」を女性の側も直感で見抜き話半分にしか聞いていないものだ。

さて、本作の井上真央、永作博美といった実力派が揃うキャスティングは全体的にバランスは的確でよい。

誘拐犯である希和子(永作博美)だが、堕ろした子供の感覚を引きずっている事から、拐った恵理菜/薫(井上真央)を自身の子供と思い込む事も容易で自然だったのかもしれない。そして「はじめから終わりしかない」わずか3年半の逃避行に臨む

しかし希和子はそんな限られた薫との時間を精一杯に生きる。結局行き場所に迷った母子を救うセイフティーネットが自治体にはなく、案外宗教的(ここではヤマギシ会がモデルの団体)な組織の方が柔軟に受け入れてくれる現実が描かれている。

次に選んだ、小豆島の美しい自然と素朴な人間関係が織りなす暮らしの中で、逃げ切り生き延びる事に精一杯だった、共に過ごす希和子の姿を薫はその傍らで母親からの無償の愛として全身に受け止めていたのだった。だから成人した恵理菜/薫は希和子の影響が強くなるのは当然か。

本作で鑑賞者はそんな希和子に感情移入してしまい「どうか逃げ延びてくれ」と応援する気持ちさえ抱くようになる。

方や生みの親である秋山恵津子(森口瑤子)は通常の4歳児の育児ではなく、希和子との3年半を取り戻す意識が勝りすぎてまるで「継母」のような力みがあり、そこを敏感に察知する恵理菜は違和感から母親とは奇妙な距離感のある関係のまま育つ。

駆け出しライターである安藤千草(小池栄子)は同じエンゼルホーム出である親近感が「武器」とも考えているのか、臆病で不器用な癖に希和子へは少々強引で図々しさに任せながら、おどおどしながらも距離を詰めてゆく——が、映画ではある一定の距離感まで詰まってはいるがそこからは頑として詰まっていない印象を持った。それは恵理菜自身が「私は誰からも理解されない」と思い込んでいるからのものであろう。

この映画のラスト写真館の場面では原作にもない故無理だったのかも知れなが、思わぬ希和子との邂逅があっても良かった気もするが、それは野暮すぎるだろうか。

逮捕の場面で何より最初に出た言葉が「その子はまだ朝ごはん食べてないんです」だった。確かにこの時希和子は薫の母親だった。

とても良い作品だった。原作も読もうと思う。

ーーー追記ーーーーーー原作を読んで
思いの外映画と差異はありませんでした。ただし構成は映画のように現代の恵理菜と過去の恵理菜/薫を交互に追うような構成ではなく0-1-2の章立てになっている。

映画で引っかかっていた小豆島野写真館でのエピソードで、出所後の希和子とはまるで接触がないままになっていたが原作では、お互いの姿を視界に納めながら、それが本人と確認ができない程度のニアミスがあり、しかし切ない。

なので映画があまりにそっけないと感じた方は原作で多少なりとも救われた気持ちになれるかもしれません。

それにしても自身で子供が産めなくなった悲しみ=子供は自分で産むから意味があると希和子はこだわっているフシがあるので、そんな女性が他者の子を誘拐してまで育てたいと考えるのかは個人的には引っかかりがある。