トンボのメガネ

八日目の蝉のトンボのメガネのネタバレレビュー・内容・結末

八日目の蝉(2011年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

女性の愚かさと美しさが詰まった作品。

永作博美があまり得意ではなかったので、ずっと敬遠していた作品だったが、TVで放送をしていたので、流し見ていた。気がつくと作業の手を止め、ひき込まれるように魅入っていた。

とくに、小豆島での生活は、本当に美しく素晴らしかった。多くを語らずとも、この擬似親子にとって大切な時間であったことを、美しい画が説得力を持たせていた。

沢山の物に囲まれた贅沢な生活とは違うけれど、瀬戸の優しい自然と、そこで暮らす人々との穏やかな時間の中で、母親の愛情を全身で受け止めている少女の姿は、何よりも満たされていたように感じた。

全編を通して強く感じたのは、罪を犯してしまった母性溢れるこの女性に、自分の子を持たせてあげたかった…という願いだった。
血の繋がりと言う意味ではなく、誰にも奪われることなく、愛を育むことのできる母親にしてやりたかった。

実の母親は被害者ではあるが、帰ってきた我が子の拠り所になれなかったのは、やはり本人の問題のような気もする。
あんな身勝手で、愛のない男と一緒に生活をしていたら仕方ないか…とも思うが、それを選択しているのは自分自身なのだ。

一番の被害者は恵理菜であって、それを理解していれば、子供にあんな癇癪を起こすことは、決して出来ない。かわいい盛りの我が子との時間を奪われた自分…という自己憐憫からくる稚拙な苛立ちが、見ていてとても悲しかった。子供をうまく愛せないのは、誘拐されたことだけが理由ではないはずだ。

一方、希和子もまた、稚拙で無知であるが故に許しがたい罪を犯す。
既婚男性と不倫関係に陥ることのリスクや愚かさに無知であったこと。
そして、子供を堕ろす選択を自分自身の決断で出来ていなかった。その稚拙さが、全ての始まりと言ってもいい。

恐らく、希和子は感謝とともに後悔もしたはずだ。何の前触れもなく、自分と引き離された薫に不安な想いをさせ、母親だと思っていた人が、誘拐犯だったと知らされる。それが、どれ程の仕打ちになるか…
一番大切にしたかった薫を、一番傷つけているのが自分自身なのだ。

しかし、それは共に時間を過ごしたからこそ気づけたことで、誘拐時には想像すら出来ていなかった…という愚かな大罪。
その皮肉さに言葉が出て来ない。

薫こと恵理菜は、父親と似たような男を選ぶ…というミスを犯すが、二人の母親から学んだ過ちと愛を受け入れ、最善の道を見つけることが出来たのだと思う。

薫であった幼少期を思い出し、泣き崩れるシーンでは、全身全霊で愛された記憶という物が、これほど人を救うのだなと思い知らされた。

希和子から貰った愛を恵理菜が受け継ぎ、それをお腹の中の子に注ぎ、やがて不器用な実母をも大きく包み込むのかもしれないと思うと、この悲しい出来事に光が見えた。

愛を持たない父親は、一貫して部外者ではあるが、離婚もせずに娘を共に育てていた事実から、その長い月日の中で、己の下劣非道さを悔やむ時間が、きっとあったことだろう…と願う。

井上真央さん、渡邊このみさん、永作博美さん、素晴らしかったです。
良い作品でした。