このレビューはネタバレを含みます
狼と踊る男、蹴る鳥、拳を握って立つ女、風になびく髪、十頭の熊、笑ってる顔……笑ってる顔!?手抜き!
ロバート・レッドフォードの時も同じことを感じたのだけれど、初監督作品でこれだけ表現できるのが素晴らしい。
インディアンとの交流の合間に、動物との友情らしきものや、雄大な自然をインサートする塩梅が心地良かったし、
一つ一つの表情の置き方やタイミングも絶妙で、ずっと心が溶かされていくような想いだった。
何よりまず、白人批判の西部劇に着手して難しい問題も乗り越えたケビン・コスナーの男気に拍手ですよ、ほんと。
「政治、領土、富に無関係。
ひと冬を越すための食糧を守り、目の前にいる家族の命を守る戦いだ。」
最も伝えたかったところはここなんじゃないかな。
ダンバーを砦まで運んでくれた、決して悪い奴ではないオッチャンが無惨にも殺されてしまうシーンを見るとインディアンは野蛮そのもの。
西部劇が全盛だった頃は、これが全編に及ぶような描かれ方をしていたわけですよね。白人がヒーローという構図。
ただ、白人マンセーではない我々日本人なら普通に思うわけですよ。
「先に住んでた住人を野蛮な行為で追い出しておいて、なにがヒーローやねん」
実際、スー族は元は農耕によって暮らしていた人たちです。
それが、白人に土地を奪われることで、狩猟民族へと変化していったという経緯がある。
まさに「目の前にいる家族の命を守る戦い」のために変わらざるを得なかったんだよね。
残忍に先住民を殺戮することは、領土のためであり、
バッファローの毛皮を惨たらしく奪っていくのは富のため。
相手と戦う姿は、同じように野蛮に映るけれど、インディアンと白人では全く違うのだということを、多くの人に知らしめたことはやはり評価されるべきだと思います。
たとえ多少過剰にインディアンを良い奴に描いているとしてもね。
拳を握り立つ女が、
「本当の人間の道を歩むこと」
と言っていたのは、必要以上のものを欲する文明社会への皮肉になっている。
生きるために必要な戦いをし、必要な分だけ命をいただくスー族には欲がない。
かくいう自分は文明社会に生きていて、もう彼らのような人間になれるわけもないのだけれど、
「狼と踊る男」と「拳を握り立つ女」の愛が、他で見るものよりも格別に澄んでいて、美しく感じたことだけは覚えておきたい。
打算も欲もない。
二人でそこにいるだけで楽しくて温かいというシンプルな気持ち。
多くの欲にまみれた現代社会を生きる上でのクスリだよ。
そんなこと言いながら、「LiLiCoに似てなければもっと良かったなぁ」とか考えちゃう自分は最低だわ。
「今までも孤独だったが、ここまでの孤独を感じることはなかった」
インディアンと交流することに成功し、友情が深まった後のナレーション。ここも印象深かった。
一人では本当の孤独を味わえないんだよなぁ。染みる。
その後、主人公のダンバーが一人で火の回りで踊っている様子を、オオカミの2SOCKSがじっと見ている様子がとても良かった。
興味はあるけど100%心を許せるわけでもないヒリヒリ感の残る距離感。
それでいて彼を一人にはしない。
2SOCKSとの交流で言えば、初めてダンバーの手からエサを食べた時に、警戒心MAXでミリオネアのファイナルアンサーばりの間を取りながら、下から覗きあげている表情が愛おしかったな。
エサをくわえて、振り返りながらトコトコトコ……とステップ踏みながら帰っていく様子も愛らしい。
「腹いっぱいで疲れた」と言ってるのに、風になびく髪にウザ絡みされまくってるのも微笑ましいw
彼は近くにいたら嫌いなタイプだけど、物語の中で客観的に見るとその評価は真逆になる。良い奴すぎて最高。
初めのうちにダンバーに冷たい態度を取っていた理由も判明するわけだけど、心を許した相手にはとことん愛情を注ぐ姿は、とても信頼できるよね。