レインウォッチャー

発狂する唇のレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

発狂する唇(1999年製作の映画)
4.0
まずはじめに書いておきたいのは、これは唯々わたしの贔屓映画だということだ。10人中12人くらいはクソ映画と言うだろうし、何を隠そうその7人目はわたしである。

しかし、今作は千年に一度の「薄幸顔」美女と崇める三輪ひとみ様の貴重な主演作であるからして、毎秒をありがたく愛そうと腹を決めた、それだけの話だ。結果、初見からもう暫く経つけれど、長らく胸の端っこに居座り続ける作品となっている。
エーリッヒ・フロム曰く、愛とは「決意であり、決断であり、約束である」。思うに、B級とかZ級と貶めるのか、カルト映画と持て囃すのかはその心づもりひとつなのだろう。

ただ厄介なのは、今作における「秀才肌」とも呼ぶべき狂気のぬる甘い味わいだ。

長男が少女連続殺人事件の容疑者として指名手配され、世間から孤立する一家に迫る怪しい霊媒師の手。
2000年前後らしいじくじくとした湿度を湛えたホラーのごとく始まって、ミステリなのかコメディなのかポルノなのか、ジャンルは行き当たりばったりに寄り道を繰り返し、終盤には唐突にアクション(しかも無駄にちゃんと演出されたやつ)が始まったりする。

その様はまさにかつてのアングラ、エログロナンセンスの世界…
への「あこがれ」。

つまり、支離滅裂というほどには破綻していないし、奇想天外というほどには机上の域を出ていない。これを作っている人は、たぶん正気で、きっと賢い。それがバレてしまうくらいの、ジルコニアでできた狂いぶりなのである。

どことなく、ビレバンこそ聖地と信じていた頃の黒歴史に再会するようでもあるし、真にやべーのは実はドンキのほう、と今なら知ってもいるわけだけれど、そんな気まずさも含めて愛してみようじゃあないか。
それくらいの価値が、あの青白く汗ばんだデコルテにはあると思っている。

-----

阿部寛は、この作品に出演したことを今でも覚えていらっしゃるだろうか。