レインウォッチャー

もっともあぶない刑事のレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

もっともあぶない刑事(1989年製作の映画)
3.0
かつてバナナマンによる『バナナ炎』なるトーク番組があった。
毎回、2人がお題に沿った何らかの《ベスト3》を決めていくのが定番で、とある回のテーマは『映画通に聞こえるような映画のタイトルベスト3』。議論が進む中、「設楽が引きを作ってから重めに答えれば何でもそれっぽくきこえるのでは?」という案のサンプルとして挙がったタイトルこそ、『もっともあぶない刑事』だった。

それからしばらく経つわけだけれど、このタイトルは頭の隅でずっと埃を被っていた。上記のような流れで挙げられるからには、所謂(めんどくせぇ)映画マニアが香水嗅がせた洗ってない雑種犬みたいな動きで忌避しそうな、さぞ娯楽色が強くて軽い映画なんだろう、という印象のまま。

さて、ついにこのたび満を持して今作と邂逅するに至ったわけである。その結果、印象は大きく塗り替えられることとなった。
…これは、とんでもないアート映画であり、まさに映画通が挙げるべき、「もっともあぶない」映画だったのだ。

時は1989年、前作・前々作ほどのバブル感は多少鳴りを潜めている。が、驚くなかれ、やっていることは「ほっとんど何も変わらねえ」のである。

タカ&ユージは勝手な行動で捜査から干され、課長から「次やったらクビ」と怒られる。

影のある美女を見張り、その美女はそのうち撃たれる。

トオルは女をダシにパシリにされ、武器を調達してくる。

木の実ナナはジャネットジャクソン。

街中だろーが相手が重要参考人や同業者だろーがすぐ撃つ。相手もとにかく撃つ。

そして、冗長な銃撃戦やカーチェイスが挟まるたび、あるいは浅野温子が義務の如くふざけるたび、お話の流れはぶち切られてわからなくなる。

今作は劇場版3作目にあたるが、仮に前作や前々作のシーンといくつか差し替えて流したとしても、わたしはたぶん気付かないだろう(※1)。
これを様式美と呼ぶべきなのか、コピペと呼ぶべきなのかはなんとも判断がつかないところだ。ただ、これを経て観終えたあとの心持ちにはなかなか他で得難いものがある。

「観てないのといっしょ」なのである。

観る前と、観た後と、映画の中でも外でも何ひとつとして変わっていない。ちょうど擦切り一杯、もしくは足跡のついていない雪景色のようなプラマイゼロが広がっている。100分間を過ごしておいて、果たしてそんなことがあり得るだろうか?こんなデジャヴ体験を可能にする映画は、パラジャーノフもタルコフスキーも作らなかったはずだ。

おわかりいただけただろうか。こんなオーパーツを無料で配信に載せているU-NEXTは頭がどうかしていると思う。はやく恐山の下の地層深くに埋めるべきだ。

…わたしは煙草を喫わないけれど、きっと愛煙家の方々がどうしても喫いたくなるときってのはこんなときなんだろう。今はそれが心で理解できる。
そしてあらためて思い直したのは、設楽さんのように好きな映画を『もっともあぶない刑事』と言い切っても納得させられるような男になっていかなきゃな、ということに尽きるのであった。

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※1:とはいえ今作ならではという点もあって、それはカーアクションにおける車の壊しっぷりである。『マッドマックス』(一作目)を思い出すくらい壊している。だから何か?ってきかれても、わたしのダッシュボードはからっぽなんだけれどさ。