ハゲゾンビ

最後の猿の惑星のハゲゾンビのネタバレレビュー・内容・結末

最後の猿の惑星(1973年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

1973年アメリカ映画。

「猿の惑星マラソン」も旧シリーズ最後まで来ました✨

「このシリーズを通して観て“人間の愚かさ”を鋭く追求し警告する」そんなメッセージ性を感じました🤔

○猿の惑星→核戦争で人類滅亡
○続・猿の惑星→結局核爆弾を使用して地球消滅
○新・猿の惑星→他民族や他種族の差別意識を止められず、コーネリアス、ジーラを殺してしまう
○猿の惑星・征服→差別意識や優越主義から奴隷制をしき、相手の暴力や復讐心を生み出さてしまう

●人類は人間が人間を殺してきた歴史である。なら人類に取って代わった猿社会はどうなのか?
「猿は猿を殺さないのか?」この辺が今作の大きなテーマになってきます(多分😅)

【ではあらすじをちょこっと】
シーザーたちの起こした人類への反抗は核戦争に発展し、文明社会を荒廃させていた。人類への警戒感から召使と主人の関係を変えようとしないシーザーだったが、母ジーラの遺した「猿が世界を滅ぼす」というメッセージを発見し、衝撃を受ける。一方、密かに地下で生き残っていたミュータント人類と、軍事独裁でシーザーの支配を打倒しようとするアルドーの軍隊は、一触即発の事態に陥っていた。(ウィキペディアより)

【今作のポイントを整理してみましょう】
◎シーザーの人間を召使いにした理由
人間は人間を殺すが猿は猿を殺さないから、だから猿は人間よるワンランク上である。

◎歴史改変
・シーザーは両親の過去を知るために立入禁止区域へ!ここは「続・猿の惑星」でミュータントがいた所。
・ミュータントが2000年間、猿と出会わず結果地球は滅んだがシーザーが立入ったことでミュータントと出会うことに!
・結果、地球は滅びず→歴史改変

◎ゴリラのアルドー将軍のクーデター
シーザーの手緩いやり方に不満を持っていた将軍はクーデターを企てるが、それを知ったシーザーの息子を殺してしまう。

◎2つの出来事
・ミュータントが地上に出て猿と戦い壊滅。核爆弾を使用する者がいなくなった。
・猿も猿を殺す→猿も人間と同じ愚かな生き物。特別意識の排除→猿も人間も同じ様に愚かであり、また賢明でもある→平等主義=人類との共存を宣言。

◎シーザーの涙
・2670年、シーザーが死んで600年が経過した地球。シーザー像に涙💧が!
・これは続・猿の惑星で滅亡する地球でシーザー像が流した血の涙が喜びの涙に変わった事を意味する(多分🤔)

【ちょっと残念ポイント】 
壮大なテーマを扱い、見事に前シリーズの伏線回収をした今作。中々見応えがありました✌️

ただ…、シリーズ最低の予算。
一番盛り上がるはずのミュータント軍団と猿軍団の戦闘シーンがショボ過ぎましたね💦
なんかおっ付け仕事でとりあえずアクションシーン撮りました感が強くてここが残念でした。

予算をふんだんに使って製作したら間違いなく名作になったのに🤔
ここだけが少し残念でした。

旧シリーズはここで終了。
そして多くの予算と最新CGで大作となって約40ぶり生まれ変わったリブート3部作へと移って行きます。

ちなみに「ティム・バートン版の猿の惑星(2001年)」というのもあります。
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